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旧東海道徒歩の旅5 茅ヶ崎~二宮 [旧東海道徒歩の旅]

旧東海道を歩いた。(茅ヶ崎~二宮)


DAY5 茅ヶ崎~二宮  約16.0km

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東海道をお気楽に歩きはじめ、順調に茅ヶ崎まで来たものの、
新型コロナウィルスという、予期せぬ脅威がやってきた。
おかげで旧東海道徒歩の旅は、1年以上、中断を余儀なくされたね。

それにしても、まじめな日本人が、1年以上、ウィルスと
戦い続けても、結局、感染者数は減らなかった。
これはもう、当分、ダメなのではないか。
アフターコロナの時代なんか、来ないような気がするな。
「ニューノーマル」という言葉も出てきて、
現状が当たり前で、いまの状況を受け入れるべき、
という認識になってきたし。

今回、緊急事態宣言が20日間、延長され、私は考えてしまった。
人間にとって、目標というものはきわめて大事である。
目標があるからモチベーションが維持できるのだから。
4月25日から5月31日まで、3回めの緊急事態宣言が発令され、
その間、私はまじめに不要不急の外出を避けてきたけれど、
なんだか、わけわかんないけど、あと20日間延長、
ということになった。目標を達成したにもかかわらず、
報酬が与えられなかったので、モチベーション、
下がりまくりである。

こんなんだったら、さしつかえない範囲で
出かけてもいいのではないか。


さしつかえない範囲というのは、自分の体調に十分注意し、
さらに感染防止に万全をつくす。で、多くの方と同様、
感染しそうなところには行かない、ということで。

警察庁の調査によると、令和3年1~4月の自殺者数は
累計で7,133人となっている。前年同期比12%増。
ハンパない増加である。

ま、人間らしく生きたほうがいいよね。
ということで、ぼちぼちと出かけてみることにする。



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茅ヶ崎駅にて

2021年5月28日午前10時、私は茅ヶ崎駅にいた。
約1年ぶりに、旧東海道徒歩の旅を再開する。
ここに来るまで、ラッシュアワーを避けるのはもちろん、
立川から横浜線、相模線という、ローカルなルートで来た。
それでも、電車はけっこう、混んでいた。
ちょっと、びっくりしたね。

私の場合、ほぼ1年間、ずっと在宅勤務だったから
知らなかったけど、普通に通勤している人って、
意外と多いんだね。

そりゃそうだよな。

世の中には、物理的に働かなければいけない人もいるわけだし。
横浜線とか相模線沿線には、大企業の工場も多い。
南橋本、海老名、寒川あたりで降りる乗客が多かった。
茅ヶ崎駅に着くと、すこしストレッチをして、
あるき始めた。

しばらくは、国道1号線を歩く。
私は1年ほど、茅ヶ崎に住んでいたのだけれど、
駅の南側、中海岸3丁目というところであった。
ゴッデスの近くである。だから、このあたりのことは、
さっぱりわからん。

ひだりがわに、海道一「でかまん本舗」という
お菓子屋さんがある。
「ああ、ここにあったのかー。」
と思った。

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でかまん本舗


茅ヶ崎に住んでいたころ、ここのでかまんを見たことがある。
20×30センチくらいのでかいまんじゅう、
ていうか、もはや、のし餅みたいなものである。
地元では、お祝いごとのときに配ったりする。
そこまで大きくない、レギュラーサイズのでかまん
(4×5センチくらい)もあるのだが、私は食べたことはない。

それにしても、インパクトのある店名だけど、
ポリティカル・コレクトネスの時代、
どこかからクレームでもつかないのかな、と思うけど。
よく晴れた日で、富士山がきれいに見えた。

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国道1号線と富士山


国指定史跡旧相模川橋台というのがある。
はて、こんなのあったっけ?と思う。
行ってみると、池のようなところに、木の柱のようなものが
数本、立っていた。
現在の相模川からは、まだ、かなり距離がある。
昔の相模川は、このあたりを流れていたと。
まあ、そういうことなのだろうな。

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旧相模川橋脚



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歌川広重作「平塚」(保永堂版) 


相模川をわたると、平塚宿である。
馬入(ばにゅう)の交差点を左折して、
国道1号線に並行する旧道をあるく。
平塚といえば、七夕まつりが有名である。
毎年、7月7日前後には、旧東海道通りに、
大型の竹飾りが飾りつけられる。

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平塚駅前商店街 (七夕のデコレーションで有名)


七夕のパレードを見に
腕をくみ 人ごみ泳げば


という、ユーミンの歌詞が思い出されるな。
「時のないホテル」というアルバムのなかの
「5センチの向こう岸」という曲なんだけど。
この曲、ユーミンファンのあいだでも
評価がわかれる。けど、私は好きである。
10代後半の女の子の心を、じつに見事に
表現していると思うのだ。

若いころには人目が大事よ
もっと大事な やさしさを失くしても
気づかないこともある


なんだか、悲しくなるくらい、リアルな歌詞だね。
こういうことでわかれるカップルって、
それこそ、星の数ほどいると思う。

ま、人からどう見られるかを、気にしだしたら、
きりがない。
また、どんなにイケメンでも、美人でも、
好きになった人から好かれなければ、
意味はないのである。
人と出会って、わかれるのは運命だから、
自分では、どうしようもない。
がんばって生きていくしかないのである。
平塚市街のはずれに、平塚宿の見附(見張り場所)の跡があった。

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平塚見附跡



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歌川広重作「大磯」(保永堂版) 


平塚宿を出ると、すぐに大磯宿である。
東海道の宿場には、とてつもなく離れているところと
そうでもない、近いところがある。
平塚と大磯のあいだは27町(2.9km)で、
これは、御油と赤坂の16町(1.7km)についで近い。

逆に、いちばん遠いのは、鳴海(なるみ)と宮(みや)の
あいだの7里(27.5km)で、これは健康な男性ならともかく、
年老いた人だと、1日で歩くのはきついと思う。


化粧坂(けわいざか)というところで、
旧道は国道1号線とわかれ、松並木のなかを通る。
すると、JR東海道本線で分断される。
私は東海道の旧道をオートバイで走ったことがあるのだが、
はじめてここを通ったときは、びっくりした。
現在は地下道でむこう側に抜けられるけれど、
20年以上前は、完全に分断されていて、
国道1号線までもどるしかなかったもんな。

長い地下道をこえると、また、松並木になった。
さらに国道1号線と合流する。

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JR東海道本線をこえる地下道

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旧東海道松並木



さらにすすむと、照ヶ崎海岸入り口という交差点があり
一瞬だけど、旧東海道は国道1号線とわかれる。
突きあたりに、さざれ石会館というのがある。
で、右にカーブして、さざれ石という交差点で
ふたたび、国道1号線と合流する。

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さざれ石交差点


君が代のなかに、「さざれーいーしーのー」という一節が
あるけど、それとは、どうやら関係ないようだ。

いまの日本人にとって、君が代を歌うこと、あるいは、
君が代の曲をかけることは、非常にすくなくなっている。
けれど、私の住む立川市では、毎日、聞こえるね。
米軍基地では、夕方5時になると、君が代と米国国歌の
The Star-Spangled Bannerを、つづけて流すから。
両国の国歌が流れているあいだ、米軍基地の軍人および
その家族は、みんな、その場で起立している。
日本国および日本国民に対して敬意を表してのことである。


さらにすすむと、鴫立庵(しぎたつあん)。
いまのいままで、「かもたてあん」と読んでいたけれど、
ちょっと字がちがった。www
鴫立庵がなんなのかについても、いまのいままで
知らなかったけど、どうやら俳諧に関係ある場所のようだ。
さらに、有名な大磯の松林となり、明治記念大磯庭園がある。

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大磯の松林

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明治記念大磯邸園

明治記念大磯邸園は、かつては滄浪閣(そうろうかく)と言った。
けれど、リニューアルしたことを機に、名前を変えたようだ。
滄浪閣は、初代内閣総理大臣である伊藤博文の別邸であった。
伊藤博文は、某国に非常に評判が悪いので、名前を変えた
のだろうな、と思う。ま、そういうことは、気がつかない
ほうがいいのかもしれない。


さらに歩く。
大磯城山公園(おおいそじょうやまこうえん)でトイレを借り、
ベンチで休憩した。

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城山公園のベンチ


15kmを超えたあたりから、腰と背中が痛くなってきた。
無理もない。
約1年間、万歩計で1日50歩とか、そんな生活をしてきたのである。
ひざの古傷も痛くなってきた。
小田原まで歩いて、帰りは小田急のロマンスカーで帰ろうか、
と思っていたのだが、無理をせず、ここで終わっておこうと思う。

午後3時30分、JR二宮駅に着いた。
改札口にむかうエスカレーターで、ツバメが飛んでいった。
なにごとか、と思ったら、ツバメが改札口のサインの上に
巣をつくっているのである。
湘南の人たちは、ツバメに寛容である。

15:40の上野東京ライン宇都宮行きに乗った。
15:54茅ヶ崎着。私がきょう1日で歩いた距離は、
電車で14分であった。

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二宮駅にて

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改札口の上のツバメの巣



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