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旧東海道徒歩の旅2 品川~大森町(おおもりまち) [旧東海道徒歩の旅]

旧東海道(品川~大森町)を歩いた。


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歌川広重作「品川」(保永堂版) 




DAY2 品川~大森町  約7.0km

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2020年1月21日午後1時20分、私は品川にいた。
このあとの私の予定であるが、午後4時に大崎で
アポイントがある。が、それまでは、時間が
あいていた。ということで、東海道徒歩の旅の
つづきをすることにする。

歩きはじめて、すぐに八ツ山橋をわたる。
京浜急行の踏切があって、電車は頻繁に来る。
ということで、八ツ山橋は開かずの踏切として
有名であった。

現在は、国道15号線は100メートルほど先の
新八ツ山橋で越えており、五反田方面に行く
クルマはアンダーパスで御殿山にぬける。
ということで、八ツ山橋を通るクルマは、
すくなくなっており、渋滞することは、
すくなくなっている。
橋の欄干に「旧東海道」という銘板があった。


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八ツ山橋


八ツ山橋をわたって、すぐに右に降り、
そこから北品川駅にむかう道が旧東海道である。
ちなみに、JR品川駅の南にあるのに、北品川という
駅名なのは、駅周辺が北品川町にあるから。
それは、品川宿の北のほうという意味である。
品川宿そのものは、現在の新馬場(しんばんば)駅
あたりが中心であった。

北品川周辺の東海道は、宿場街の雰囲気を
よく残している。浮世絵では、東海道は海岸沿いの
高台の上を通っている。現在でも、旧東海道の
下り方向に向かって左側はゆるい坂道になっており、
当時の名残が残っている。

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北品川駅周辺


品川橋で目黒川をわたる。
ここから桜上水あたりまで、目黒川の遊歩道が
つづいており、桜の季節はとりわけきれいである。

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品川橋


鮫洲(さめず)は、運転免許試験場のあるところである。
すこし昔の話であるが、関東近辺の試験場における
自動二輪免許の限定解除試験は、鮫洲→二俣川→府中
の順に、むずかしかったのだそうだ。
私自身は府中運転免許試験場で限定解除をしたのだが、
鮫洲の出身者にそう言うと、

「なんだ、府中か。あそこなら誰でも
通るだろ。」


と言われてしまった。

鮫洲では、限定解除の合格者は、毎回5人以下だったそうだ。
府中では、毎回、5~10人くらい合格していたから、
合格率は、たしかに高かったのだろう。

けれども、府中の受験者は、八王子にあった
ライディングスクールに通っていたツワモノが多く、
受験者のレベルそのものが高かったと思う。
だから、鮫洲の試験の難易度が府中にくらべて
著しく高いとは言えないのではないか、と思うのだが。

※ちなみに、私も八王子のライディングスクール出身である。
が、運転は
どヘタであり、合格するまでに
7回も受験した。



さらにすすむ。
浜川橋で、立会川(たちあいがわ)をわたる。
立会川という駅があることは知っていたけれど、
立会川という川が、本当にあるとは知らなかった。
立会川は、川そのものが短いうえ、
ほとんどが暗渠になっている。
ということで、水面を見ることは、ほとんどない。

国道15号線と合流する変則的な交差点のところに
鈴ヶ森刑場の跡がある。
小塚原(こづかはら)とともに、
江戸時代においては代表的な形場であった。
江戸時代の刑というと、獄門(ごくもん)とか、
磔(はりつけ)とかである。ここ、鈴ヶ森には、
磔用の柱を立てる石が残っていた。

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鈴ヶ森刑場跡


ちなみに、さきほど立会川をわたった浜川橋は
別名、泪橋(なみだばし)と言われていた。
形場にむかう受刑者を、親族が涙ながらに見送った
ことから、その名がある。
あしたのジョーの丹下ボクシングジムがあった泪橋とは、
おそらく関係ない。

国道15号線をさらに歩く。
しながわ水族館と平和島競艇場の前を通り、
午後3時、大森町(おおもりまち)の駅に着いた。
午後4時に大崎でアポイントがあるので、
今日はここまでにする。


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