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彦根・近江八幡のこと (その2) [ツーリング情報]

近江八幡に行く前に、八日市に立ち寄った。


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万葉の森船岡山の壁画

4月4日金曜日の朝、私は名神高速道路を降りて、
近江八幡をめざし、国道421号線を西に走っていた。
途中、八日市という町がある。現在は東近江市という、
味もそっけもない名前の市になってしまったけど、
ここは、万葉の昔から栄えていたところである。
額田王(ぬかたのおおきみ)の、

 あかねさす 紫野行き 標野行き
 野守は見ずや 君が袖振る


の歌は、八日市市内の船岡山で詠まれたといわれているのだ。
西暦668年の6月。いまから1340年前のことである。
その船岡山に行ってみた。

mapion.gif  船岡山の地図をみる


「あかねさす~」の歌は、あまりにも有名だし、
その解釈は、受験などで古文を勉強された方にとっては、
いわずもがなだろうけど、念のために少々、解説させていただくと、
「あかねさす」は紫にかかる枕詞で、紫野とは染料にする紫草(むらさき)
を栽培したところ。標野(しめの)は皇族などが所有する原野で、
狩りをする場所であった。
そして、袖を振るというのは、この頃の男女の愛情表現であり、
いまの若い人にとっては、告白にあたる行為である。
つまり、「紫野、標野で、私に対して袖を振ったりして、
番人の野守(のもり)に見つかったら、どうするのですか。」
というのが、この歌の内容なのである。
それに対して、袖を振った大海人皇子(おおあまのみこ)は、

 紫草の にほへる妹を 憎くあらば
 人妻故に われ恋ひめやも


という歌を返している。これは、とくに解説の必要もないだろう。
紫草(むらさき)のにほへる妹こと、額田王は、もとは大海人皇子の妃
であったのだが、この歌が詠まれた頃には、兄である中大兄皇子の後宮
に入っていた。このころ、中大兄皇子と額田王の仲は冷え切っており、
番人の野守とは、中大兄皇子のことであるという解釈もある。

ま、ともかく3人には、きわめて複雑な事情があるわけだけど、
この頃の結婚という概念は、現代とはずいぶんと違ったもの
であっただろうから、いちがいに不倫などといって、
とがめることはできないとは思う。
なお、この時期の3人の事情は、里中満智子氏の「天上の虹」の
第13章 蒲生野に詳しい。ちなみに、私は里中満智子氏の「天上の虹」
により、日本の古代史を勉強した!

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里中満智子氏作 「天上の虹」

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紫草(むらさき)  出所:滋賀県ホームページ



1340年前の恋の現場は、現在は万葉の森船岡山として、
整備されている。まあ、なんにもないところだけど、この記事の冒頭
にあるような大きな壁画があるから、すぐにそれとわかるだろう。
現地に立つと、1300年以上も昔もいまも、人が人を恋する気持ちに、
それほど違いがないことが不思議な感じがする。
万葉の森船岡山は、サクラがきれいなところらしい。
私が訪れた4月4日はまだ、ちらほらとしか咲いていなかったけど。
いつの日か、サクラが満開になる時期に、再訪してみたいと思う。

それにしても、やはり滋賀県は、歴史のあるところである。
琵琶湖が総面積の80%を占めると思っていたとか、
新幹線が米原にしか停まらないくらいで、これまでずっと素通り
してきた自分が情けない。
これからは、滋賀県のことを、もっとよく知ろうと思う。


ということで、彦根・近江八幡のことを書こうとしているのに、
寄り道をしてしまったので、なかなか近江八幡に着かないのである。
次回はちゃんと近江八幡のことを書こうと思う。
どうも、すみません。


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