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彦根・近江八幡のこと (その3) [ツーリング情報]

近江八幡を訪れたときのことについて。


4月4日金曜日の午前10時ごろ、近江八幡に着いた。
近江八幡は、豊臣秀次が築いた城下町である。
が、一般的には、近江商人の発祥の地としての方が、知られているだろう。

近江商人とは、この地区出身の商人の総称である。
今日でも、高島屋とか伊藤忠商事など、近江商人をルーツとする
大企業は数多い。
近江商人の特徴としては、行商が中心であったことがあげられる。
つまり、近江八幡の町に店を構えるのではなく、
仕入れた商品を遠方に運んで行って売るのである。
日本における訪問販売の元祖であるといえよう。

当時の商業というと、人口密集地や市が立つ場所において
店(たな)を設けるのが基本。つまりは、待ちのビジネスであった。
それに対して、近江商人は消費者のニーズに合わせて商品を用意し、
実際に商品が消費される場所において販売する。
つまり、よりマーケティング志向が強いビジネスモデルであったと
みることができるだろう。

なぜ、このようなビジネスモデルが、この地に根付いたのか。
私は、基本的には貧しい土地であったからではないか、と思うのだ。
豊かな土地で、外に出て行かなくても暮らせるならば、
言い換えれば、そこに自分の居場所があるならば、
人は外に出て行こうなどとは思わないものである。
そういった意味で、近江商人は江戸時代において、
全国をまたにかけて成功した旅人であったとみることができる。
私はそういったことから、近江商人に興味を持っており、
いちど、近江八幡の町を訪れてみたいと思っていた。


近江八幡の町は、行商に出る近江商人たちの本拠地であったことから、
古い商家が多数残っており、江戸時代の面影を多く残す町並みとなっている。
私は旧市街の中心地である八幡堀(はちまんぼり)に行ってみた。
ちょうど、サクラが咲いていて、いい風景が撮れるはずであるから。


私が八幡堀に着くと、なんと、時代劇の撮影をやっていた。
彼らは、われわれアマチュアカメラマンのことなんか、
眼中になく仕事をするし、平気で風景を変えてしまう。
私は、やれやれ、と思ってしまった。がっかりである。
それでも、撮影のために中判カメラを出していると、出演者である
役者さんの一人が、私に話しかけてきた。

役者さん「どうも。すみませんね。TVの撮影でお邪魔しちゃって。」
私    「あ、いえ。みなさん、お仕事ですから、しようがないですよ。」
役者さん「東京からバイクで来られたんですか?」
私    「ええ、そうです。」
役者さん「そう。私も昔、バイクに乗ってまして。ほう、ナナハンですか。
      でも、小さいですね。」
私    「ええ。最近のナナハンは、ずいぶんとコンパクトになり、
      乗りやすくなりました。」
役者さん「どうか、お気をつけて。」
私    「ありがとうございます。ところで、なんという番組の撮影
      なんですか。」
役者さん「『密命』といいます。」
私    「は? ミツメイ、ですか?」
役者さん「はい。TV東京でやりますから、よろしければ見てくださいね。(笑)」


そんな、やりとりがあった。
私はテレビをあまり見ないし、時代劇のことなんか、さっぱりわからない。
だから、私に話しかけてきた役者さんも、誰だかわかんないけど、
とても気さくで、感じのいい方であった。赤い着物を着た子役の少女も、
私とオートバイを見て、にっこりと笑った。

リンク
密命 寒月霞斬り


mitsumei.jpg
密命 寒月霞斬りのロケ風景


mitsumei3.jpg
番組中、CMに入るときなどによく使用されているシーン


結局、八幡堀の撮影は、スタッフの人が撮影の準備でひっきりなしに
働いているし、そうこうしているうちに、リハーサルが始まってしまったので、
いい写真が撮れないまま、早々に引き上げざるをえなかった。
けど、私は、この番組の出演者の方々に好感を持ったので、
帰ってから、「密命」を見てみよう、と思った。



ということで、今日の記事のまとめであるが、近江八幡は歴史を
感じさせるいい町である。その風景は、時代劇のロケなどにも、
よく使われているようだ。サクラの季節はもちろん、これからは
ショウブなども見ごろになる。機会があれば、訪れてごらんになると
いいだろう。


東京に帰ってから、このことをすっかり忘れていたけど、
今日、テレビをつけてみると、偶然、「密命」をやっていた。
しかも、私が行ったときに撮影されていたシーンが放映された。
子役の女の子が、「あ、ツバメ!」というシーンだったけど、
ほんとに、テレビでそう言っていた。(笑)


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