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釧路~長万部自転車ツーリング その2 [日本外周自転車の旅]

釧路から長万部まで、自転車で走った。(1日め)


1日め  釧路~豊頃(とよころ)町  約89km
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1日めの走行コース


2017年6月23日午前9時、釧路のゲストハウスを出た。
しばらくは、国道38号線を走る。
大楽毛(おたのしけ)をすぎると、1車線に減少。
北海道の国道は、除雪の関係で路肩が広いので走りやすい。
道の駅しらぬか恋問(こいとい)で、1回めの休憩をした。

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道の駅しらぬか恋問にて


昨夜は、ゲストハウスで同室になった関西からの自転車乗りと
フランスから来た若者と、夜遅くまで話をしてしまった。
おかげで、午前5時ごろから走るつもりだったのに、
出発が9時になってしまった。

私は旅をしている若い人と話すのが好きである。
だから、夜遅くなって寝坊してしまったことについては、
まあいい。私にとっては楽しい時間だったし。
また、私の旅は、誰とどこで約束しているわけでもないのだから、
出発が遅くなったことについても、べつにかまわない。
けれども、フランスから来た若者は議論が大好きだったので、
ちょっと、閉口してしまった。

しかも、激してくると、日本人として、少々、かちんとくる
ことでも、平気で言う。日本と近隣国との歴史問題について、
「日本は周辺国に対する植民地支配について、謝罪すべきだ。
そして、良好な関係を構築しなければいけない。」
などと言われてしまった。

私としては、フランス人にそんなこと言われたくないよ、
と思うのだけど、それを言ってしまうと、せっかく日本に
来てくれたのに、悪い感情を持たれてしまうかもしれない。
だから、「そうかもしれませんね。」などと言って、
にこにこ笑っているしかない。
ということで、若干、ストレスがたまってしまった。
白糠(しらぬか)をすぎると、道は若干のアップダウンが
はじまった。

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白糠~音別間の国道38号線


音別(おんべつ)を通過する。このあたりには大きな町は
ないと思っていたのだが、意外と大きな町であったので、
驚いた。セイコーマート音別店で、水と若干の食料を購入。

直別(ちょくべつ)駅をすぎたところに、ちいさなドライブイン
があり、ライダーハウスと書いてあった。営業しているのか
どうかは、よくわからなかった。
国道38号からわかれ、北海道道1038号線に入る。
道に入ったところで、タンチョウの親子を見た。
それほどめずらしくもないけれど、いちおう、写真を撮る。
丘をこえると、海岸に出た。すこし波が高い。
しばらく、根室本線と並行して走る。
午後4時、厚内(あつない)駅通過。

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タンチョウ

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直別~厚内の海岸線


さらに、海岸沿いに走り、厚内トンネルという短いトンネル
をぬけると、山のなかに入っていく。2012年に開通した
国道336号線の支線(浦幌道路=うらほろどうろ)にはいる。
十勝川を十勝河口橋で渡って、北海道道911号線に。
大津の集落にはいった。

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十勝河口橋にて


今回の私の旅の目的のひとつは、この大津がどんなところ
なのか、実際に見ることであった。読者の方々にとっては、
さすがに、ここまでバカだと、読む気にもなれないかも
しれないけれど。

大津は十勝川の河口にある集落であり、十勝発祥の地と
いわれるほど、歴史のふるいところである。
地図をみるのが趣味である私は、小学生の頃から、
この大津の集落を知っていた。その理由であるが、
十勝川には、河口から20キロほど上流まで、
まったく橋がなかったからである。このあたりの人たちは
どのようにして、暮らしているのだろうか、と
当時の私は思っていた。

で、実際に大津の人々はどうしていたのかというと、
渡船で対岸に渡るのであった。私の持っていた地図には、
十勝川をわたる、いくつかの渡船が描かれていた。
有名であったのは、旅来(たびこらい)の渡船で、
国道336号線の一部となっていた。渡船でむすばれた国道は、
全国でもここだけであった。旅来渡船は、さきほど渡った
十勝河口橋が完成する1992年まで、存続している。

私が印象に残っていたのは、この大津の集落から対岸に
渡る渡船であった。対岸は湿原であり、なにもなかった。
「いったい、どんな人が、この渡船を利用しているのだろう。」
と、当時、小学生だった私は、一生懸命考えたのだが、
まるで想像できなかった。

その渡船は、当然のことながら、現在はない。
1973年の地形図には掲載されているものの、
1985年の地形図には掲載されていない。
だから廃止されたのは、その間である。

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大津集落と対岸をむすぶ渡船 1973年地形図


その渡船があった乗り場の地点に行ってみる。
なにも残っていなかった。
うーむ、土手を登る階段くらい、残っているかな、
と思っていたのだが。

気を取り直して、集落のなかを走ってみる。
「十勝発祥の地」という碑があった。
ジュエリーアイス海岸という案内看板がある。
冬になると、十勝川を流れてきた氷が海岸に打ち上げられ
宝石のように輝く、という。いつか見てみたいな、と思う。

なんだか、さえなかったけど、50年間、見てみたかった
大津の集落を見ることができたので、私は満足した。
この日は長節湖(ちょうぶしこ)のキャンプ場に泊まった。

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長節湖キャンプ場にて


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