「こんな50代にはなりたくない」そうだ(笑) [ひとりごと]
「こんな50代にはなりたくない」というホームページがあって、
そこに、私のホームページが掲載されているのだそうだ。(笑)
ある方から、お便りをいただいたのだが、その方によると、
「こんな50代にはなりたくない」 というホームページがあって、
そこに私のホームページが載っているのだそうだ。
いやはや、困ったもんである。(笑)
少し宣伝になってしまうけど、私は オートバイで国道を旅する
というホームページをつくっている。このBlog「続・国道な日々」
を書いているほか、ホームページをつくっているのである。
私のホームページ「オートバイで国道を旅する」
で、ホームページとBlogの機能分担であるが、
ホームページは、「フォトギャラリー」とか「旅行記」などというように
私自身の創作活動の作品を発表する場となっており、
それに対して、このBlogは、「旅とオートバイが好きな人にとって、
読むとほんの少し役立つコラム」となることをめざしている。
言い換えると、ホームページは、私と趣味とか考え方において
共通点がある人たちをターゲットにした情報発信の場であるのに
対して、Blogはやや広い範囲の読者層をターゲットにした、より実用的な
情報発信の場というように、その機能を分けているのである。
これは、ホームページとBlogの読者層の差、あるいは情報に
対するニーズの差を考えて、そうしている。
ちなみに、「国道な日々」というタイトルは、私は旅行記のなかで、
自分自身のことを、いい年齢をしてオートバイなんかに乗って
国道をめぐる旅ばかりしている“極道者”であるとしているので、
その極道と、国道をかけて付けたのである。
極道な日々=国道な日々である。
いままで誰もつっこまなかったから、初めて言うけど。
(^^;
ところで、ググってみたものの、「こんな50代にはなりたくない」
というホームページを見つけることができなかった。
誰かが、Blogの記事として書いているのかもしれない。
ま、いいけどさ。
どなたか、見つけられた方は教えてくださいね。(笑)
で、そこに書いてある内容であるが、お便りをくださった方によると、
「サイクリングとバイクの記事を読んでみて思ったことは、
一見大雑把で細かいことは気にしないタイプなんだけど、
実は几帳面で心配性なんじゃないか」とか、
また、「拘り(こだわり)と屁理屈を誤解しているのではないか」
というように指摘されているとのことである。
なるほどね。
ま、なんにしても、とりあげられるということはいいことである。
たとえ、マイナスの評価であっても。(笑)
読んでも毒にも薬にもならない、単なる日記や自慢話のような
内容であれば、とりあげられることなんてないと思うから。
その人にとっては、私のホームページを読んで、
「こんな50代にはなりたくない」と感じさせるような毒があったとしても、
内容にインパクトがあったからこそ、とりあげたのだろうし。
それはそれでいいと思う。
人間、毒がなくなったら、おしまいだからさ。
で、この人の私に対する評価なんだけど、「こんな50代にはなりたくない」
という以上、その人が模範とする50代の人間像があり、それに対して、
私が合致していない、ということだと思うのである。
それは否定しない。
私だって、51才にもなって、オートバイに乗って、日本全国の国道を
ふらふらと旅をしているということが、決してほめられたことではない
ことは、よく承知しているのである。また、国道とか、オートバイとか、
鉄道とか、カメラとか、あるいは安全に走る方法とか、多くの人にとっては
どうでもいい、関心の対象にならないことに対して、自分のこだわりを
主張することが、あまり意味がないことも、よくわかっているのである。
ということで、その人にとって理想とする50代の人間像と、
私がホームページやBlogで演出している人間像がかけはなれて
いるであろうことは、よくわかる。
けれども、ホームページとかBlogで書いていることは、あくまでも、
私の一面にすぎない、ということを理解しないといけない。
なんだってそうだと思うけど、ものごとは、多面的にとらえるべき
であると思うのである。
(長くなりそうだから、次回につづく)
そこに、私のホームページが掲載されているのだそうだ。(笑)
ある方から、お便りをいただいたのだが、その方によると、
「こんな50代にはなりたくない」 というホームページがあって、
そこに私のホームページが載っているのだそうだ。
いやはや、困ったもんである。(笑)
少し宣伝になってしまうけど、私は オートバイで国道を旅する
というホームページをつくっている。このBlog「続・国道な日々」
を書いているほか、ホームページをつくっているのである。
私のホームページ「オートバイで国道を旅する」
で、ホームページとBlogの機能分担であるが、
ホームページは、「フォトギャラリー」とか「旅行記」などというように
私自身の創作活動の作品を発表する場となっており、
それに対して、このBlogは、「旅とオートバイが好きな人にとって、
読むとほんの少し役立つコラム」となることをめざしている。
言い換えると、ホームページは、私と趣味とか考え方において
共通点がある人たちをターゲットにした情報発信の場であるのに
対して、Blogはやや広い範囲の読者層をターゲットにした、より実用的な
情報発信の場というように、その機能を分けているのである。
これは、ホームページとBlogの読者層の差、あるいは情報に
対するニーズの差を考えて、そうしている。
ちなみに、「国道な日々」というタイトルは、私は旅行記のなかで、
自分自身のことを、いい年齢をしてオートバイなんかに乗って
国道をめぐる旅ばかりしている“極道者”であるとしているので、
その極道と、国道をかけて付けたのである。
極道な日々=国道な日々である。
いままで誰もつっこまなかったから、初めて言うけど。
(^^;
ところで、ググってみたものの、「こんな50代にはなりたくない」
というホームページを見つけることができなかった。
誰かが、Blogの記事として書いているのかもしれない。
ま、いいけどさ。
どなたか、見つけられた方は教えてくださいね。(笑)
で、そこに書いてある内容であるが、お便りをくださった方によると、
「サイクリングとバイクの記事を読んでみて思ったことは、
一見大雑把で細かいことは気にしないタイプなんだけど、
実は几帳面で心配性なんじゃないか」とか、
また、「拘り(こだわり)と屁理屈を誤解しているのではないか」
というように指摘されているとのことである。
なるほどね。
ま、なんにしても、とりあげられるということはいいことである。
たとえ、マイナスの評価であっても。(笑)
読んでも毒にも薬にもならない、単なる日記や自慢話のような
内容であれば、とりあげられることなんてないと思うから。
その人にとっては、私のホームページを読んで、
「こんな50代にはなりたくない」と感じさせるような毒があったとしても、
内容にインパクトがあったからこそ、とりあげたのだろうし。
それはそれでいいと思う。
人間、毒がなくなったら、おしまいだからさ。
で、この人の私に対する評価なんだけど、「こんな50代にはなりたくない」
という以上、その人が模範とする50代の人間像があり、それに対して、
私が合致していない、ということだと思うのである。
それは否定しない。
私だって、51才にもなって、オートバイに乗って、日本全国の国道を
ふらふらと旅をしているということが、決してほめられたことではない
ことは、よく承知しているのである。また、国道とか、オートバイとか、
鉄道とか、カメラとか、あるいは安全に走る方法とか、多くの人にとっては
どうでもいい、関心の対象にならないことに対して、自分のこだわりを
主張することが、あまり意味がないことも、よくわかっているのである。
ということで、その人にとって理想とする50代の人間像と、
私がホームページやBlogで演出している人間像がかけはなれて
いるであろうことは、よくわかる。
けれども、ホームページとかBlogで書いていることは、あくまでも、
私の一面にすぎない、ということを理解しないといけない。
なんだってそうだと思うけど、ものごとは、多面的にとらえるべき
であると思うのである。
(長くなりそうだから、次回につづく)