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BE-PAL以前と以後 (前編) [ひとりごと]

アウトドアライフというものが、決定的に変わったのは、
1980年代初めに「BE-PAL(ビーパル)」が創刊されてから
であると、私は思うのである。


今月号のBE-PAL

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オートバイにキャンプ道具を乗せて、泊まる場所も決めずに
出かけるという旅のスタイルが、私は好きである。
晴れていれば、キャンプ場を利用することが多く、そのため、
テント、シュラフ、ランタンといったアウトドア用品は、ひととおり
持っていく。ひとりでキャンプをする夜というのは、私にとっては
無上の時間である。しかしながら、では、アウトドアライフが
好きなのかというと、自分でもはっきりしない。
 

オートバイに乗る前、まだ大学生の頃であるが、私は自転車で
旅をしていた。その頃は川原だとか、公園だとか、あるいは
国道の橋の下などに、テントを張って寝ていたものである。
もっと前、高校生の頃は鉄道で旅をしていた。いまはなき
「ワイド周遊券」を買って、急行列車の自由席か普通列車で
移動していた。そして、いい無人駅を見つけると、最終列車が
出て行ってから始発列車が来るまでのあいだ、待合室で
シュラフをひろげて寝ていた。
 
要するに、ビンボー旅であった。
 
自転車で走っていたのは、べつに自転車が好きというわけでは
なくて、単に交通費を浮かすための手段にすぎなかった。
キャンプや駅寝をしていたのは、べつにそれが好きというわけ
ではなくて、単に宿泊費を浮かせるための手段であったのだ。
 

あの頃は、アウトドアライフを楽しむなんて感覚は、まったく
なかったな。当時の私は、
「キャンプや駅寝じゃなくて、ユースホステルとか、ちゃんとした
宿に泊まりたいなあ。」
と思っていたし、
「自転車をこぐのはきついなあ。クルマかオートバイに乗りたいなあ。」
と思っていたのである。そうしなかったのは、要するにお金が
なかったからだ。
 

けれども、私たちの頃は、そういったビンボー旅をする人が、
決して少なくなかった。自転車で旅をしていても、鉄道で旅を
していても、私はよく仲間と出会ったものである。
赤穂線の日生駅(ひなせえき)で出会った自転車乗りの仲間
には、これから行く岡山県、広島県について、
「どこそこのユースは、ご飯のおかわりが自由だ。」とか、
「岩徳線の駅は無人駅が多いから、待合室で寝られる。」とか、
そんなことを教わったものだ。
北海道の長万部駅で出会った鉄仲間とは、始発列車が来る
まで、お酒を飲みながら、話をしたものだ。
 
みんな、そうやって旅をしていたのである。 
  
私たちの世代は、そうやって旅をすることにより、自分の部屋に
いたのでは決してわからないことを学んできた。そして、現在の
私の旅のスタイルは、あの頃の旅の延長線上にあると思う。
 
 
1980年代において、アウトドアライフをとりまく環境は、大きく変わった。
私が思うに転機となったのは、1981年にBE-PALが創刊されて
からである。それからは、ネコも杓子もという感じでアウトドア
ブームになり、旅をする人のスタイルが決定的に変わってしまった。
 

私たちの世代にとっては、BE-PALで紹介されるアウトドアライフ
というものは、正直、カルチャーショックの連続であった。

「えっ、シュラフが2万円! テントが3万円。そんなもん、買う
やつが本当にいるの?」
「チタン製シェラカップだって? ちたん、なにそれ?」
「バス釣り? 食えないサカナを釣って、なにが面白いんだ?
キャッチ・アンド・リリース? 釣ったサカナを逃がすのか。
じゃ、なんで釣るんだ?」
「キャンピングカー? 年間たかだか10日か20日くらい、
キャンプをするのに、わざわざそんなでっかいクルマ買う
やつがいるのか?」
「え! 自転車が20万円? そんなの買うお金があるのなら、
ユースホステルに100泊くらいできるじゃん!」
 

要するに、BE-PALの世界というのは、私たちの世代から
みると、えらく非常識だった。つまり、BE-PAL以前のアウトドア
ライフと、BE-PAL以降のアウトドアというのは、全く異なるものだ
と思うのである。
 
(長くなりそうだから、次回につづく)



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