SSブログ

3ケタ国道の危険な峠はすべて閉鎖すべきである [ひとりごと]

友人から、「国道169号線に、なにか恨みでもあるわけ?」とか
言われてしまった。いや、私は国道169号線だけでなく、極端に
言うと、3ケタ国道の危険な峠なんか、すべて閉鎖してしまえば
いいと思っているのだが。

 
国道169号線で起こった事故については、私にとっては、過去2回
通ったことがある場所だし、実家のある三重県の尾鷲市にも近い。
だから、関心があることは事実である。けれども、「国道169号線は
行き止まり国道にしてはどうか?」という記事を書いたのは、それだけの
理由ではない。私は過疎地にある3ケタ国道の峠のうち、必要性の
低いところ、危険なところは、すべて閉鎖すべきであると思っている
のである。
 

私くらい、日本全国いろんな国道を、用もないのにふらふらと旅を
してきた人間も珍しいと思うけど、日本には、本当にとんでもない
国道がある。
こんなところとか...。

国道425号線

あるいは、こんなところとか...。

国道260号線 
 
 
そもそも、なんでこんな過疎地にある道が国道なのか。
じつは、3ケタの番号のついている過疎地の国道、いわゆる
3ケタ国道の大半は、1970年代から90年代にかけて地方道
として建設されたものである。その多くが地方の財政では
面倒をみきれず、国道に昇格されたのである。
 

少し税金の使われ方に関心のある方なら、地方がいかに
優遇されているかについては、よくご存じであろう。ひとつの例
をあげると、「過疎債」というものがある。過疎債は、1970年に
制定された「過疎法」により地域指定を受けた自治体への
特別措置として制定された財源である。過疎債を発行する自治体
は元本の3割だけ償還すればよく、残り7割は丸々もらえる。
残りの面倒を見るのは、地方交付税。つまり、国から地方に支給
される税金である。
 

過疎債は当初、道路に集中的に注ぎ込まれた。1970年代から
80年代にかけて、主要地方道はすごく増えたけど、それには、
そういったカラクリがあったのである。
ただし、道路というものはつくっただけではダメで、維持・管理を
しなければならない。それには膨大なコストがかかる。
過疎地の地方自治体は、道路をつくったはいいけれど、その維持・
管理のコストを負担することができず、結局、国に肩代わりをして
もらうことになった。それが、現在の多くの3ケタ国道の実態である。
 

ま、それはいい。
 
都市部の住民は、多かれ少なかれ、地方から食糧や水資源など、
さまざまなものを奪って生活しているのである。だから、過疎地に
住む人々のために、道路や鉄道の1本やそこら、つくってもいい
ではないかと、私は思っている。
 

けれども、当の過疎地の人にとってみても、ほとんど必要性がなく、
工事業者が儲けるだけのために開通させたような3ケタ国道の
峠道を維持する必要性なんか、私は感じない。
また、そういった3ケタ国道の峠の大半は、ろくな安全対策もとって
おらず、危険な道である。事実、今回の事故では人命が失われて
いるではないか。

国道169号線で起こったことは「崩落」という自然現象であり、
いつ起こるかは予測がつかないのだそうだ。ずっと前、北海道の
積丹半島で起こったトンネルの上に巨大な岩石が落ちてきた事故
と同じである。
 
けれども、いくらなんでも崩落が起きそうな場所というのは、
ある程度、予測がつくのではないか。岩に割れめが入っていたり
したら、
「冬のあいだに、ここに水が入って凍ったりしたら、春になったら
崩れるだろうなー。」
ということは、土木工事の技術者なら、ある程度、わかっていた
はずである。
 

それでも経済性を優先させ、岩の割れめに充填材やセメントミルク
の圧入をするといった対策を行わなかったのであろう。なぜならば、
そもそもこんなところ、誰も通らないと思っているから。
だいたい、こういった過疎地の国道、しかも峠道などは地元を潤す
ために建設することに意義があるのであり、開通させることによる
メリットなんか、どうでもいいのである。また、崩れたら崩れたで、
復旧工事で儲かるから、べつにいいじゃん、と。
3ケタ国道の安全性なんて、そんなもんである。
 

そういったことから、3ケタ国道の峠道は、一般のドライバーや
オートバイ乗りが「国道」だからといってヘンに信用して入って
行ってしまうと、生命の危険がある。だから、閉鎖した方がいいと、
私は思っているのである。
 



共通テーマ:バイク