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旧東海道徒歩の旅 DAY10 東田子の浦~新蒲原 その2 [旧東海道徒歩の旅]

旧東海道を歩いた。(東田子の浦~新蒲原)

DAY10 東田子の浦~新蒲原 約18.4km

吉原は、東海道五十三次の14番目の宿場である。
旧東海道徒歩の旅も、だいぶ、すすんできたなと思う。
新型コロナのせいで、あいだがあいてしまったけど。

沼川をわたると、なんだか工場がいっぱい
あるところに出た。紙に関連する工場のようだ。
富士由比バイパスと東海道新幹線をくぐって、
500メートルほど歩くと、左富士の名勝がある。

hidarifuj.jpg
左富士


左富士とは、東海道を京にむかって西にすすむと、
吉原宿の手前で大きく道が曲がり、それまで
右に見えていた富士山が、左がわに見えるようになる。
東海道を旅する人たちは、これを左富士とよんで、
おもしろがったのである。

道が大きくまがったのは、吉原宿がたびたび
移転したことによる。もともとの吉原宿は、
現在のJR吉原駅付近にあったが、高潮の被害に
あったことから、若干、内陸よりに移転した。
けれども、さらに被害にあったことから、
現在の吉原本町付近に移転したのであった。
そのようなことから、東海道は大きく左右に
蛇行したのである。

広重も左富士を描いている。湿地か田んぼを
思わせるところに、松並木とともに続く東海道
が描かれている。この松並木は、現在は周囲の
開発がすすみ、わずかに一本の老松が残るのみである。


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歌川広重作「吉原 左富士」(保永堂版) 


さらにすすみ、岳南鉄道の吉原本町駅をすぎると、
かつての吉原宿があったあたりである。
現在も吉原本町商店街として、さかえている。

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吉原本町駅


吉原中央駅という交差点を左折する。
鉄道の駅ではなく、バスターミナルであるが、
駅を名乗っているのは、地域住民にとって、
それだけの輸送実績があるからだろう。

ところで、「富士山登山ルート3776」という
案内が、ずっと続いている。
なんのことかと思ったけれど、あとで調べて
みると、富士市が提唱している標高0メートル
からの富士登山ルートなのであった。
吉原の海岸から富士山頂(標高3,776メートル)まで、
約40kmの徒歩ルートが続いている。

富士登山というと、5合目から登るのが普通である。
私も10年以上前に、富士スバルラインの5合目
(標高2,305メートル)から登ったけれど、
意外と簡単に登れてしまった。
標高0メートルから登ると、3泊4日くらいかかる
ようで、なかなかのこだわりだなと思う。

市街地をジグザグにすすみ、錦町北という交差点で、
国道139号線に出る。すこし南にすすみ、
錦町で斜めにはいる細い道を歩く。
なおも迷いやすい状況が続くが、
スマホのGPS機能を使ってすすむ。

富士市フィランセという施設の近くに、
間宿(あいのしゅく)本市場(もといちば)という
案内板があった。吉原から蒲原までは11kmくらい
だけど、間宿があったのだな。

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本市場の案内板


さらにすすみ、JR身延線の柚木(ゆのき)駅を
すぎると、富士川に出た。

(長くなったので次回に続く)


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