旧東海道徒歩の旅 DAY10 東田子の浦~新蒲原 その1 [旧東海道徒歩の旅]
旧東海道を歩いた。(東田子の浦~新蒲原)
DAY10 東田子の浦~新蒲原 約18.4km
東田子の浦駅にて
2024年9月8日 日曜日午前7時、東田子の浦駅から
歩き始めた。
昨日、熱中症になりかけた件であるが、
身障者が使う「だれでもトイレ」に入って、
首筋と頭に5分くらい水をかぶった。
そうして、からだを冷やしてから、
汗をかいたシャツを着替えて、しばらく
すずしいところにいたら、なおったようだ。
寒いときは、着ればなんとかなるけど、
暑さからは逃げようがない。
今日も暑い。気をつけて行こう。
東田子ノ浦は、海の近くにある駅である。
改札口を出て、南に300mも歩けば、
もう、海岸である。
海はきれいである。
江ノ電の鎌倉高校前とか、葛西臨海公園とか、
首都圏で海に近い駅はたくさんあるけれど、
やはり、ここまで来ると、水の透明度がちがう。
また、振り返れば富士山が目の前に見える。
ということで、この駅まで、海と富士山を
見に来る人は多い。
私も平日の仕事中に、ここ、東田子の浦まで来た
ことがある。
あの時の私は、追い込まれていた。
プロジェクトを3つ抱えさせられていたのだが、
そのうち1つが、どうしても納期に間に合わない。
このままだと会社と顧客に迷惑をかけてしまう。
海を見ながら、退職願を出すことを考えていた。
当時の私は、子どもを2人抱えており、
収入がなくなると困るのだが、結果を出せなかった
のだから、仕方がない。
夕方、社にもどると、結構、大騒ぎになっていた。
どうやら、私が失踪、あるいは自殺したらしい、
ということになっていたようだ。
部下たちに注目されながら、自分の席にもどると、
早速、担当の役員に呼ばれた。
役員「まあ、落ち着け。明日、いっしょに事情を
説明しに行こう。」
私 「はあ。大丈夫なんでしょうか。」
役員「命まで取られることはあるまい。」
結局、役員がいっしょに謝りに行ってくれたおかげで、
その件は、減額だけでなんとかなった。
明治大学出身で、向こう傷をおそれない人で助かった。
もう、30年以上も前の話だけど...。
いまでも、東田子の浦には、なにか問題を抱えながら
訪れる人が多いようだ。ネットの掲示板を見ていると、
顧客のデータを、rmコマンドで全消ししてしまった
ITエンジニアの話が書いてあった。
会社にもどれずに、東田子の浦に来て、海を見ていた
のだが、そのまま退職代行を使って辞めてしまった、
ということであった。なんとなく、30年前の私と
ダブって、涙なしには読めなかったな。
なおも歩き、檜(ひのき)という交差点を左折する。
「高橋勇吉と天文堀」という案内看板があった。
読んでみると、昔、このあたりは沼地で、大雨のたびに
田は水浸しになっていた。そこで、この地に住む
高橋勇吉という者が、私財をなげうって、天文堀という
排水堀をつくった、という話であった。
いい話だなー。
いまどきだと、クラウドファウンディングなどで
資金を集め、事業に取り組むという感じかな。
で、事業をはじめるものの、あまり成果が出ず、
そのまま消える、までがセットである。
なおもすすみ、もういちど、踏切により東海道本線を
わたると吉原駅に着いた。
(長くなったので次回に続く)
DAY10 東田子の浦~新蒲原 約18.4km
東田子の浦駅にて
2024年9月8日 日曜日午前7時、東田子の浦駅から
歩き始めた。
昨日、熱中症になりかけた件であるが、
身障者が使う「だれでもトイレ」に入って、
首筋と頭に5分くらい水をかぶった。
そうして、からだを冷やしてから、
汗をかいたシャツを着替えて、しばらく
すずしいところにいたら、なおったようだ。
寒いときは、着ればなんとかなるけど、
暑さからは逃げようがない。
今日も暑い。気をつけて行こう。
東田子ノ浦は、海の近くにある駅である。
改札口を出て、南に300mも歩けば、
もう、海岸である。
海はきれいである。
江ノ電の鎌倉高校前とか、葛西臨海公園とか、
首都圏で海に近い駅はたくさんあるけれど、
やはり、ここまで来ると、水の透明度がちがう。
また、振り返れば富士山が目の前に見える。
ということで、この駅まで、海と富士山を
見に来る人は多い。
私も平日の仕事中に、ここ、東田子の浦まで来た
ことがある。
あの時の私は、追い込まれていた。
プロジェクトを3つ抱えさせられていたのだが、
そのうち1つが、どうしても納期に間に合わない。
このままだと会社と顧客に迷惑をかけてしまう。
海を見ながら、退職願を出すことを考えていた。
当時の私は、子どもを2人抱えており、
収入がなくなると困るのだが、結果を出せなかった
のだから、仕方がない。
夕方、社にもどると、結構、大騒ぎになっていた。
どうやら、私が失踪、あるいは自殺したらしい、
ということになっていたようだ。
部下たちに注目されながら、自分の席にもどると、
早速、担当の役員に呼ばれた。
役員「まあ、落ち着け。明日、いっしょに事情を
説明しに行こう。」
私 「はあ。大丈夫なんでしょうか。」
役員「命まで取られることはあるまい。」
結局、役員がいっしょに謝りに行ってくれたおかげで、
その件は、減額だけでなんとかなった。
明治大学出身で、向こう傷をおそれない人で助かった。
もう、30年以上も前の話だけど...。
いまでも、東田子の浦には、なにか問題を抱えながら
訪れる人が多いようだ。ネットの掲示板を見ていると、
顧客のデータを、rmコマンドで全消ししてしまった
ITエンジニアの話が書いてあった。
会社にもどれずに、東田子の浦に来て、海を見ていた
のだが、そのまま退職代行を使って辞めてしまった、
ということであった。なんとなく、30年前の私と
ダブって、涙なしには読めなかったな。
なおも歩き、檜(ひのき)という交差点を左折する。
「高橋勇吉と天文堀」という案内看板があった。
読んでみると、昔、このあたりは沼地で、大雨のたびに
田は水浸しになっていた。そこで、この地に住む
高橋勇吉という者が、私財をなげうって、天文堀という
排水堀をつくった、という話であった。
いい話だなー。
いまどきだと、クラウドファウンディングなどで
資金を集め、事業に取り組むという感じかな。
で、事業をはじめるものの、あまり成果が出ず、
そのまま消える、までがセットである。
なおもすすみ、もういちど、踏切により東海道本線を
わたると吉原駅に着いた。
(長くなったので次回に続く)