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男と女 [ひとりごと]

男女差別について、いろいろと言われているけれど。


みなさん、お元気ですか。
最近、私のブログでは旅行関係の記事の更新がない。
ということで、心配してくださった方がいたのだけど、
私は元気です。
けれど、旅に出られない以上、書くことがないですから。
単純に、そういうことですから。

いまは、旅行ブログ業界全体が壊滅状態である。
ま、いろいろと大変ではあるけれど、
気分をかえて、今回は雑文をあげてみようと思う。



最近、森元総理が男女差別をしたということで、
えらい勢いでマスコミに叩かれ、辞任に追い込まれたね。
発言の前後を読んでみると、当の本人に、
女性に対する差別意識があったとは、必ずしも
いえないような気もするけれど、
ま、不用意な発言であったことは間違いない。

いろいろと言われている男女差別の問題だけど、
私自身の若いころには、やはり、差別はあったね。


私自身は、MARCHといわれる大学のなかで、
とりわけ、女子に人気のあるR大学の出身である。
で、私らの時代、大学に入った時点で、
男子と女子のどちらが優秀だったかというと、
これはもう、圧倒的に
女子の方が優秀だったね。

そもそも、全学生の7割ちかくが女子だったし。www
完全に公平に、入試の成績だけで合否を決めると
どうしても、そうなってしまうのである。

R大学に入ってくるような女子は、名門高校から
現役で入ってくる子ばかりだった。
私の友人でも、浦和一女とか、女子学院とか、
豊島丘とか、浦和明の星とか...。

それに対して、男子はというと、それなりの高校出身
のやつが多いんだけど、みんな高校時代には遊んでいて、
一浪で入ってきたやつが多かった。
それと、付属高校(当時は男子校)からの持ち上がり。

もっとはっきり言うと、女子はまじめで賢くて、
男子は、みんなバカであった。

まあ、これは、仕方がないことなのだろう。
18才くらいの男女をくらべれば、
男子は好奇心旺盛で、いろんなことをやりたがる。
それに対して、女子は現実的でまじめである。
これはもう、生物としての本能なのだろうと思う。

大学生活に入ってからも、女子の優位は続いた。
女子は順調に、A(他大学でいう優)を集めていく。
卒業までに、ほとんどの子は20から30個のAを集めたね。
卒業に必要なのは、124単位だから、
Aが30個というと、ほとんど全科目がAである。

それに対して、男子は、やはり遊んでばかり。
卒業も危ぶまれるようなやつが多かった。
私自身も、Aの数が1ケタであった。
ということで、みかねたクラスの女子が、
ノートをコピーさせてくれた。
それでも、筆記試験の結果、Aが取れなくて、
「...あんた、バカじゃないの。」
と言われた。www。



4年生になり、就職の時期になった。
私は、まじめに会社訪問をする気がなく、
10月になって、やっと、マスコミの試験を受け始めた。
で、なぜか、とある広告代理店がひろってくれた。

私にノートを見せてくれた子は、商社志望だった。
けれど、どこにも採用されなかった。
まだ、女子の総合職としての採用枠が、
非常にすくない時代だったから。
結局、大手保険会社の一般職として、
就職が決まった。

卒業前に、その子に会ったとき、
「なんで、あんたみたいなバカ
代理店に就職できて、この私がOLなのよ!」
と言われた。
私は、そのとおりだな、と思った。
そのときは、なにも言えなかったけど。


卒業後、その子は大手保険会社を一年で辞めて、
貯めたお金で、アメリカの大学に留学した。
男だったら、人事部長に張り倒されそうだけど、
女は平気なんだよな。
で、経営学修士を取得。念願だった総合商社への
就職を決めた。
女性が認められるには、男性以上に優秀でないと
いけなかった時代である。



あれから40年。
世の中は変わった。
男女雇用機会均等法の施行、女性の深夜労働の解禁など、
女性の労働をとりまく環境も変わったね。
いまは、女性のパイロットもいる時代だし、
女性の電車運転士なんか、それこそ、たーくさんいる。
IT関連の企業なんか、女性総合職ばっかしである。

いま、男女差別について、うるさく言う女性は多いけど、
それは、私らの時代に痛いめにあった女性が、
社会の中心にいるからだと思う。
けれど、現場でバリバリ働く女性、あるいは、
私にノートを貸してくれた子のように、
本当に実力でのし上がった女性は、案外、
気にしていないのかもしれない。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
かつて、男女差別はあった。
いまは、よくわからないけれど。


男女差別を男性の視点で見た、 おもしろい記事だと思います。1980年代は、女性の総合職採用って、ほとんどなかったのですね。いまは逆に、女性の一般職採用って、あるのでしょうか?
というご質問をいただいた。

→女性の一般職のほとんどは派遣に置き換えられたと思われます。

いまや、女子も男子も一括して、総合職として採用するのが、あたりまえになりました。でないと、男女差別をするブラック企業にされてしまいます。
けれど、これは個人的な感想ですが、男といっしょに深夜まで残業したり、腕時計をはずした跡が白く残っている女性をみると、本当に彼女たちはそんな生活を望んでいたのか?、と思うことがありますね。

また、これは誰も言わないことですが、男性の一般職としての採用は、私らの頃から現在にいたるまで、ほとんど、ありません。

辞令1枚で、世界中、どこにでも飛ばされる生活。
仕事が達成できるまで、何日でも徹夜させられる生活。
同期が課長になったら、子会社に出向させられる生活。
大きな失敗をしたら、辞表を提出しなければいけない生活。

そんな生活を、すべての男性が望んでいるわけではないと思います。けど、4年制の大学を出ると、 男性はみんな、そうやって働かせられます。
現在、自殺者の7割は男性です。が、そのことについて議論される日は、おそらく、来ないのでしょうね。

同期が課長になったら、子会社に出向させられる生活って。w
いまでも、そんな会社、あるんですか?

というご質問をいただいた。

→ふつうにあります。あなたが知らないだけです。

同期が100人いて、課長になれるのは10人くらいですから。残りは、子会社に出されるか、辞表を出さなければなりません。

この制度の典型が公務員です。事務次官になれるのは、ひとりだけですから。そこにいたるまでに、同期のほとんどが辞めていきます。
だいたい50才くらいになると、同期のなかから、局長が出ます。すると、あとの人は辞表を出すか、天下り先に行かなければなりません。そういうことになっています。
公務員はみんな、天下り先を確保するのに必死ですが、それは、やむを得ない面もあるのです。彼らから見ると、子会社への出向の道があるサラリーマンは、うらやましい限りなのです。

Aの数がヒトケタだったバカは、広告代理店に就職して、その後、どうなったのですか。www
というご質問をいただいた。

→かなりがんばりました。が、50才でドロップアウトしました。そのあとの私の人生は、低迷するばかりですわ。www

私の場合、大学を卒業するまでは、わりとボーッと生きていました。が、卒業後は、「こんなことではいけない。」と思って、かなりがんばりました。結婚がはやくて、わかいうちに子どもが生まれたことも、その理由です。
で、自分で言うのもなんですが、まあまあの地位、年収に達しました。けれど、子どもたちが成長して、大学を卒業した時点で、すこしだけ自由に生きたくなり、その時点で、ドロップアウトしました。そのあとの私の人生は、低迷するばかりです。
まあ、私たちの年代でドロップアウトしてしまうと、ひきこもってしまうか、うつ病で入院してしまう人も多いです。私自身はそうはならないで、ひとりでふらふらと旅行しているだけですから、まだ、ましな方かもしれません。


50才でドロップアウトすると、その後、どうなるのですか。www
というご質問をいただいた。

→ふつうは引退してしまいます。

私の場合は、上から、「あいつは使えなくなった。」と判断された時点で辞表を出し、以降は契約社員(=外注)として働くようになりました。自分の部下だったような若い人からコキ使われる毎日で、やりづらいところはありますね。私は若い人と働くのが好きなので、もっていますが、そういうのが嫌な人は、たいがい、引退してしまいます。

とりわけ公務員はそうです。関連の団体に行っても、そこには先に退職した先輩がいますから、やりづらいし、いじめられるのです。ということで、結局、やめて引退してしまう人が多いですね。



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