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出雲大社の神道はちがう国の宗教だった [ムダ知識]

出雲大社に行ってきた。


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出雲大社の御本殿


出雲大社と伊勢神宮は、どちらも日本人にとっては、
特別な場所である。けれども、その違いは、
あまり知られていないのではないか。

出雲大社と伊勢神宮の違いをひとことでいうと、
高天原(たかまがはら)に住む神様の代表が
天照大神(あまてらすおおみかみ)であり、
それを祀っている神社のナンバー1が伊勢神宮である。
それに対して、われわれが住むこの地に住む
神様の代表が大国主(おおくにぬし)であり、
それを祀っている神社のナンバー1が出雲大社である。
※諸説あり


三重県人である私は、伊勢神宮には数多く行っている。
それこそ、毎年のように行っているのだが、
出雲大社には、あまり行ったことがない。

これまでに、3回くらいか。

今回、せっかく島根県に行ったので、
出雲大社にも立ち寄ることにした。


無料の駐車場にクルマをとめて、
長ーい参道を歩く。
巨大なしめ縄のある御本殿で、
2拝4拍手1拝の作法でお参りする。

お参りのあと、家内のために健康のお守りを、
家内の母のために長寿のお守りを買って帰る。
縁結びのお守りは、若い人には、よけいなお世話と
とられるから、買わない方がいいようだ。

帰り道に「ムスビの御神像」をみる。
といっても、もう、何度もみているから、
それほど真剣には見なかったけど。
写真も撮らなかったし。

ムスビの御神像は、大国主が幸魂(さきみたま)と
奇魂(くしみたま)を頂く時の場面を表現したものである。
説明板があって、これら2つの魂(みたま)と、
それらがもたらす「縁」について書いてある。

ちょっと難解だけど、はしょって解説すると、
「人はみな、幸魂と奇魂をもって生まれている。
ひとりひとりが、これらの魂の力と、
それがもたらす縁を生かしきって、
がんばって生きるように。」と。
要するに、そういうことである。


この縁が拡大解釈されて、出雲大社のことが
男女の縁結びの神様であると誤解されているけれど、
大国主は、そんなキューピッドみたいな
ケチな神様ではないから。


それにしても、こういった世界観は独特である。
出雲大社の神道というのは、宗教というよりも
哲学にちかいね。
日本の国家神道とは、完全に別物。
ていうか、もともとは、ちがう国のちがう宗教を、
強引に「神道」として、まとめている感じである。



日本史に詳しい方であれば、出雲には、古代において、
ひとつの政治的なかたまり(=古代出雲国)があり、
それを大和朝廷が従属させたことは、
ご存じであろう。

そのことは、古事記において、出雲の神々が
高天原の神々に国を譲るというように書かれている。
いわゆる「国譲り」伝説である。

古事記においては、大国主は、きわめて平和的に移譲した
ように書かれているが、実際には、武力で奪い取られた
という性格が強いものとみられる。
つまり、古代出雲国と大和朝廷とのあいだで
戦争があったわけである。

そういった意味では、大和朝廷が信仰していた
高天原系の神々を祀っている伊勢神宮と、
古代出雲国が信仰していた国津系の神々を
祀っている出雲大社は、完全に別モノ。
実際、出雲大社は、出雲教とか出雲大社教を
名乗っており、国家神道とはちがった方向に
すすんでいるし。

まあ、もちろん、われわれ一般人にとっては、
あまり関係のない話だけど。

けれども、出雲大社が長い歴史をもっており、
その教えには、崇高な哲学があること。
そして、出雲には、そのことに誇りをもって生きている
人々がいるということは、認識しておいた方がいい。
スターバックスが一軒もない、などと言って、
ディスるのはやめた方がいいだろう。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
出雲大社は、長い歴史をもった、とてもいい神社である。
それだけ。


ちなみに、私の実家にちかい熊野三山(熊野本宮大社、
熊野速玉大社、熊野那智大社)は、もともとは自然崇拝
の宗教であった。それを、わりと新しい時代において、
強引に神道にむすびつけた感じ。
また、古代においては、熊野にも、おおきな政治的な
かたまりがあったものとみられる。
そのことは、いつか書く機会があれば、また。



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