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飛鳥寺(あすかでら)に行ってみた(前編) [旅情報]

奈良県明日香村(あすかむら)にある飛鳥寺に行ってみた。


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飛鳥寺にある釈迦如来像(国宝)

クルマのタイヤを交換したので、ちょいと奈良県まで
走ってみることにした。そして、明日香村にある
飛鳥寺に行ってみた。


飛鳥寺は日本最古の本格的寺院である。
6世紀の終わりごろ、蘇我馬子(そがのうまこ)により
建立された。本尊である飛鳥大仏(釈迦如来像)は、
推古(すいこ)天皇の命により、つくられたものである。
作者は鞍作止利(くらつくりのとり)。
飛鳥時代を代表する仏師である。


この時代の歴史のことは、わかっているようで、
じつは、よくわかっていない。
が、はっきりしていることは、当時の朝鮮半島では
高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)
の三国が存在し、日本(倭国)は、百済と友好的な関係
にあった。その百済から、日本に仏教が伝来したのは、
6世紀の後半であるとみられる。

「日本書紀」によると、552年に百済の聖明王(せいめいおう)
が使者を使わし、仏像や経典とともに仏教流通の
功徳を賞賛した上表文を献上したと記されている。
これはおそらく史実であるが、それまでに日本に来た
渡来人たちのなかにも、仏教徒はいただろう。
そういった意味では、日本が公式に仏教を認めたのが
6世紀末ということであろう。

当時、中国では戦乱の時代が300年あまり続いていたが、
581年に隋(ずい)によって統一された。
隋の軍事力は強大であり、当時の日本にとっては脅威であった。
そこで蘇我馬子は、日本に仏教と律令制を導入し、
「豪族たちの集合国家」から「天皇中心の中央集権国家」
へと改革をすすめた。そのため、592年に推古天皇
(注:最初の女性天皇である)を即位させ、摂政(せっしょう)
として、聖徳太子が選ばれ、十七条の憲法、冠位十二階などの
制度をつくった、とされている。

ここまでは、中学校のときの歴史の教科書
そのまんま
であり、だいたい合っていると思われる。

けれども、ここからは、わからないことが多い。
例えば遣隋使であるが、それほど恐れていた隋に、
日本はなぜ、国費留学生を派遣したのだろうか。
蘇我馬子は仏教の伝来に、なぜ、それほどこだわった
のだろうか。そのため、蘇我氏は仏教の導入に反対する豪族
物部氏(もののべし)を滅ぼしているのである。
また、当時の日本は神道、もしくは原始的な太陽神信仰で
あったが、人々は仏教をなぜ簡単に受け入れたのだろうか。

まあ、私自身、それほど歴史に詳しいわけではなく、
手塚治虫の「火の鳥 -太陽編-」
を読んで、疑問に思っただけなんだけどね。www

ちなみに、「火の鳥」では仏教に対する不信感がみられる。
手塚治虫の思想なのかもしれないけれど、結構、過激な
表現が平気で描かれているね。
ま、とにかく、いろいろな疑問があったので、
それを解決すべく、私は明日香村までクルマを飛ばした
のであった。

え? ガソリン代と高速代が大変
だって?


そのために、タイヤを自分で交換して、約4万円の旅費
をつくりだしたのである。www
(後編につづく)


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