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国東半島の吉弘(よしひろ)氏のこと [旅情報]

軍師官兵衛に、吉弘統幸(よしひろむねゆき)が出てきたんだけど。


2014年の大河ドラマ、「軍師官兵衛」が完結した。
主演の岡田准一さんの演技はなかなかの高評価で、
視聴率もよかったようだね。
私自身はTVをあまり見ないんだけど、ちょっとした事情
があり、第49回「如水最後の勝負」を見た。
吉弘統幸(演:的場浩司さん)が出てきたからである。

吉弘統幸は、豊後国(現在の大分県)の大名、
大友氏の家臣である。軍師官兵衛においては、
大友家のために忠節を尽くす高潔な人柄とともに、
石垣原(いしがきばる)合戦において、壮絶な最後をとげる
猛将として描かれていた。
まあ、ほとんどの方はご存じないと思うけど。
武将としてマイナーであることは事実だし、
石垣原合戦といっても、高校野球でいうと大分県の
地区予選みたいなものだからね。

じつは、私の家内は大分県出身であり、
旧姓は吉弘という。
そう、吉弘統幸の遠い子孫なのである。

吉弘氏の本家は、関ヶ原の戦い以後、熊本藩士となった。
しかしながら、一族の多くは豊後国、とりわけ国東半島周辺
に残ったものとみられる。家内の実家は大分県西国東郡大田村、
現在の杵築(きつき)市にあり、私は1度だけ、そこに行った
ことがある。


2008年11月30日午後1時ごろ、私は国東半島を
走っていた。
大阪南港からフェリーで新門司に着いた私は、
国道10号線を南下。宇佐神宮のある宇佐市で
国道213号線にはいり、豊後高田にむかった。
豊後高田は、昭和のテイストが色濃く残るおもしろい
ところだけど、先を急ぎ、県道34号線を約20kmほど走り、
国東半島内部の大田村に入っていく。
はじめて行くところで、家内からは実家の住所を
聞いていただけだったけど、GPSのおかげで、
なんとか、たどり着くことができた。

なにもないところだった。wwww


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杵築市(旧大田村)の周辺

場所は、杵築市役所大田庁舎の近くなんだけど、
まあ、なにもない、ふつうの田舎だったな。
近くには、白鬚(しらひげ)田原神社という
由緒がありそうな神社があったけれど、
私以外に訪れる者はなかった。

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白髭田原神社

ところで、家内は、
「父の実家には、小さいときに1度しか行ったことがない。」
とか言っていた。
義父と実家とのあいだに、家内も知らない事情があって、
疎遠になってしまったのかもしれない。
そんなところに、オートバイでふらっとやってきて、
「どーも。家内の実家がここだと聞きまして。」
とか言う変なやつが現れても、迷惑だろう。
訪ねるのは、やめておいた。


大田の集落を出てから、30分ほどのところにある
吉弘城を訪ねた。
住所は、国東市武蔵町吉弘。
豊後吉弘氏の本拠地であり、近くの楽庭八幡神社には、
「吉弘氏発祥の地」という碑がある。

こちらも、なにもないところであった。
吉弘城といっても、説明がなければ、城跡とは
気がつかないような状態だったし。
吉弘氏七代の墓というのもあったが、個人宅のなか
にあるので、見学することはできなかった。

オートバイに戻り、缶コーヒーを飲んで、しばらくぼーっとする。
12月とは思えないほど、あたたかく、おだやかな日だった。

義父はこの地で育ち、中学を卒業すると同時に
北九州の工場に集団就職して行ったという。
吉弘統幸は猛将だったというけれど、
義父は、怒ったところを見たことがないくらい、
おだやかな人だった。
ああいった人柄は、こういう場所で育ったから、
培われたんだろうな、と思った。
亡き義父を偲ぶ旅でもあった。

国東市をあとにした私は、別府市内にある吉弘統幸が
祀られた吉弘神社を訪ね、その日は由布院(ゆふいん)
に泊まった。


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