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篤姫の像は宮崎あおいに似ていた [旅情報]

薩摩今和泉(さつまいまいずみ)というところに、
篤姫(あつひめ)の幼少の頃の像があるのだが。


atsuhime.jpg
篤姫の銅像

指宿市観光協会「篤姫のページ」
http://www.ibusuki.or.jp/atsuhime/top/

2013年11月15日金曜日、午前9時ごろ、私は鹿児島県指宿市(いぶすきし)
の国道226号線を自転車で走っていた。

「篤姫」というTVドラマがあった。2008年のNHK大河ドラマである。
篤姫(=天璋院、てんしょういん)の役は、宮﨑あおいが演じていた。
ふだん、ほとんどテレビを見ない私が、なんでそんなことを
知っているのかというと、私の家内が「篤姫」を見ていたからである。
まだ、地上波デジタル放送になる前で、わが家にテレビがあった頃である。

ということで、私も夕食後、お茶を飲みながら、短い時間、
「篤姫」を見ることがあった。私にとっては、ドラマの本編には
あまり興味がなかったけど、本編のあとの「篤姫紀行」という、
1分くらいの短い映像情報がおもしろかった。
現在の篤姫ゆかりの地を訪ねるというものである。

篤姫紀行
http://www.nhk.or.jp/kagoshima/atsuhime/kikou.html


じつは、私は「篤姫紀行」により、天璋院が今和泉領主の娘である
ということを、はじめて知った。天璋院の幼少名は「於一(おかつ)」といい、
18才のとき、徳川家に嫁がせるため、島津斉彬の養女としたのであった。
徳川家に人質として差し出すのに、本当の娘を行かせるわけがない。
私はうっかりしていた。それはともかく、「篤姫紀行」により、私のなかに、
今和泉の地名がインプットされた。


あれから5年。そのことは、もう、すっかり忘れていたのだが、
国道226号線を走っていて、JR薩摩今和泉駅の前を通り、
思い出したのであった。
駅に行くと、「天璋院篤姫ゆかりの地」と、でかでかと書いてある。
駅のなかに入っていくと、天璋院ゆかりの地を散策するための地図があった。
私は、その日のうちに枕崎まで行きたかったので、全部をまわるわけには
いかなかったのだが、天璋院の生家跡である今和泉小学校にだけ、
行ってみることにした。

imaizumi.jpg
JR指宿枕崎線 薩摩今和泉駅


500メートルほど、国道226号線を鹿児島方面にもどる。
指宿商業高校の隣に、指宿市立今和泉小学校があった。
なんのへんてつもない、普通の小学校である。
正門の周辺には、観光客のための案内、施設はなにもない。
平日の朝、授業をしているなか、小学校の前をふらふらする
わけにはいかない。児童性愛者と間違われて、
警察に通報される可能性がある。私は早々に立ち去り、
裏にまわってみることにした。
小学校の裏の海岸沿いは松林があり、遊歩道のようになっていた。
裏門の脇には、「天璋院篤姫(幼名一子、かつこ)が暮らした
今和泉島津家館跡」という案内が立っていた。

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今和泉小学校の裏門前にて


さらに進むと、なんと、銅像があった。
「幼少の篤姫・於一像」と書いてあった。
ここに来るまで、まったく知らなかったのだが、
2012年9月にできたのだそうだ。「篤姫」の放映が終わって
4年も経過していながら、こういったかたちで銅像ができるあたり、
NHK大河ドラマの影響の大きさを感じさせる。

それはそうと、銅像はたいへん可愛らしいけれど、
なんとなく、顔が宮崎あおいに似ている。
天璋院は、当時の女性としては斬新で新しもの好きであり、
写真も残っているのだけど、少女時代の写真など、あるはずがない。
だから、これは作者のイメージを表現したものであると思われるのだが、
なにも、ここまで大河ドラマに影響されなくてもいいのではないか。

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銅像の顔


まあ、これは歴史の記録ではなく、大河ドラマの記録なのである、
と考えれば、これはこれであり、なのかもしれない。
像は錦江湾に面したところにあり、とても景色がいいところであった。




ということで、今回の記事のまとめであるが、
鹿児島県指宿市の今和泉小学校の裏、海岸沿いには、
宮崎あおいに似た、篤姫(天璋院)の幼少の頃の像がある。
ご興味がある方は、行ってみるのもよろしいかと思われる。



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