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抜海はあいかわらず最果ての駅だった [日本海岸自転車の旅]

JR宗谷本線の抜海(ばっかい)駅を訪れた。


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JR宗谷本線 抜海駅

2012年10月17日水曜日、午前9時30分ごろ、
私は、JR宗谷本線の抜海駅を訪れた。
午前6時ごろ、天塩の鏡沼キャンプ場を出発。
北海道道106号線を、日本海沿いに約55キロメートル、
北上すると、T字路に突き当たる。
そこが抜海の町である。
なにもないところである。


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北海道道106号線


10年前に訪れたときは、雑貨屋さんが1軒あったけど、
どうやら、なくなってしまったようだ。
で、そのなにもない町から、さらに2キロメートルくらい
はなれたところに、JR宗谷本線の抜海駅がある。
町と駅が離れていることは、よくあるけれど、
抜海の場合、極端である。

駅舎は古い木造。
木造駅舎としては、最北端である。
Wikipediaによると、抜海駅が開業したのは1924年
だそうだから、その当時からの建物だろう。
駅の周辺には、人家が2軒ほどあるだけ。
典型的な秘境駅である。

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抜海駅入口にて

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抜海駅の駅舎


抜海の港では、これからゴマフアザラシが越冬に集まってくるという。
5月の連休ごろまで、抜海港にはアザラシ観察所が開設され、
アザラシの観察ができるそうである。



ということで、今回の記事のまとめであるが、
JR宗谷本線の抜海駅は最北端の木造駅舎であり、
最果ての駅である。
それだけ。


じつは、私が抜海駅を訪れたのは、3回めである。
1回目は、34年前。大学時代に鉄道で来た。
2回めは、10年前。オートバイで来た。
そして、今日が3回めの訪問。チャリ(自転車)で来た。

以前に来たことがある場所に来て、長い年月が経過している
にもかかわらず、その場所が、なにも変わっていないと、
なんだか、不思議な気分になる。

この34年間に、私自身には、いろいろなことがあった。
大学を卒業して、就職して、結婚して、子どもができた。
子どもたちを育てるために、生きてきた。
その子どもたちも、上の子は今年、大学院を出て就職。
下の子も、今年、大学を卒業する。
ふたりとも、もうすぐ私のもとを去り、巣立とうとしている。

そして、私自身は、確実に老いている。
若い頃は、パンパンに筋肉がはりつめていた肉体は、
いまや、みるかげもない。
私は若いころ、バスケットボールをやっていたので、
垂直跳びは90センチを超え、1500メートルも4分30秒台で走った。
はっきりいって、自転車では誰にも負けたことがなかった。
その脚力も、いまや衰えまくり、ここまで、たった55キロ走っただけで、
もう、バテバテであった。(泣)

けれども、健康にめぐまれ、病に倒れることなく、
ふたたび、ここに来ることができた。
それだけでも、幸せなことなのかもしれない。

あと何年かしたら、私はもう、自転車なんかに乗れないだろう。
そうなる前に、ここに再訪することができてよかった。
そう思った。
私が抜海駅に、4回目の訪問をすることは、おそらくないだろう。