断られたくない症候群、傷つきたくない症候群 [ひとりごと]
昨日(1月30日)の日経の朝刊に、断られたくない症候群の人が
増えている、とか、書いてあった。
記事の主旨を損ねない程度に、要約すると、
ツイッター上で、「暇だ」「お酒飲みたい」など、相手を特定せず、
一見誘っているようには見えない言葉をつぶやき、
実は意図した相手が食事や遊びに応じるのを待つ。
明確に誘ってはいないから、誰も反応しなくても傷つかない。
メールで誘わないのは、「相手に返事をしなきゃと思わせるのは
気が引けるし、断られたり返事がなかったりするとへこむから」だそうだ。
もし、想定外の人からの反応が来たら、「予定が埋まった」と言って、
体よく断るのである。
なんだか、読んだあと、ぐったりと疲れるような記事であった。
私はツーリングの誘いを、ツイッターやBlogでする人がいるというのが、
非常に不思議であった。
なんで、そんなまだるっこしいことをするのか。
いっしょに行きたい人がいるのなら、直接、メールで誘えばいいではないか。
なんで、不特定多数の人が読むツイッターやBlogに、そんなことを書くのか。
正直、理解に苦しんでいたのだけど、
そういうことであったのか。
私だったら、行きたいところがあったら、勝手に行く。
誰か、いっしょに行きたい人がいたら、メールで誘う。
断られたら、そのときはしょうがない。
ひとりで行けばいい。
あるいは、複数の人を誘うことが面倒くさいときは、
「明日、何時に○○にいますから、来たい人は来てください。」
というメールをばらまいて、ひとりで行く。
そもそも、ツーリングに行きたいのは私なんだから、
私の都合を最優先するのは、あたりまえである。
また、別のところに、こんなことも書いてあったな。
Blogのコメント上で、記事に対して批判的なことを書いたりしたら、
場が荒れるし、記事を書いた人を傷つける。だから、そのような
コメントは入れてはいけない。記事の内容に明らかな誤りがあるなど、
どうしても必要ならば、会ったときに直接言えばいい。
それなら、相手は傷つかない。
それって、傷つきたくない症候群ですか?
それだと、Blogの仲間うちでは、まるく収まるかもしれないけど、
記事を読んでくださる、不特定多数の人たちは、どうするんですか。
間違った記事を読まされたまま、置き去りですか???
私は思うのだけど、申し出を断ったり、人を傷つけたりするというのは、
そんなに悪いことなのだろうか。
人にはそれぞれ、自分の都合というものがある。
だから、それと合わせることができなければ、そりゃ、断るしかないでしょう。
そんなの、当然ではないですか。
あるいは、人と人が交流すれば、そりゃ、意見が対立して、
傷つけあうこともありますよ。
それがイヤなら、そもそも、人とつき合わなければいいのである。
私は、このBlogでコメント欄はとじているけど、cgiを使った書き込みにより
ご意見、ご批判は頂戴している。多いときは、月に40通くらい、メッセージをいただくが、
はっきり言って、そこに書き込まれてくることの約半分は誹謗中傷です。(笑)
「いい年齢をして、自転車で走って、楽しいですか。」
「長距離を走るわりには、自転車がせこいですね。恥ずかしくない?」
「佐多岬まで自転車で走ると、なんか、いいことでもあるんですか。」
そんな書き込みが、月に20通くらい、来るのである。
正直、ぐったり来ますよー。(笑)
まあ、状況から考えて、こういった書き込みを書いてくるのは、
その大半が、以前のBlog「国道な日々」時代において、
友好的なコメントをやりとりしていた、so-netブログの人々である。
ハンドルネームが見えるのと、見えないのとでは、
人とはこれほど変わるものか、と、あらためて興味深いものを感じるな。
ま、それはともかく、そもそも、人というのは、そういうものである。
他の人と、好意的、友好的な関係を構築するのを望む一方で、
差別、嘲笑の対象となる存在を望む心理があるのである。
その対象となるのは、たいがい、人と違ったことをする人。
私のように、自転車で東京から佐多岬まで行ったり、
あるいは、ひとりで地方の国道を走りに行ったりする人が
ターゲットになるのは、ある程度、理解できる。
だからといって、それで傷つくのを恐れたりしていたら、
やりたいことなんか、なんにもできやしない。
一方で、残りの20通というのは、とても心あたたまるメッセージだし、
なかには、本当に有益なアドバイスや、私とは違った視点からの、
貴重なご意見をくださる方も、数多い。
だからこそ、私はBlogを書き続けているのである。
人と人とのコミュニケーションというのは、そういうものではないのか。
増えている、とか、書いてあった。
記事の主旨を損ねない程度に、要約すると、
ツイッター上で、「暇だ」「お酒飲みたい」など、相手を特定せず、
一見誘っているようには見えない言葉をつぶやき、
実は意図した相手が食事や遊びに応じるのを待つ。
明確に誘ってはいないから、誰も反応しなくても傷つかない。
メールで誘わないのは、「相手に返事をしなきゃと思わせるのは
気が引けるし、断られたり返事がなかったりするとへこむから」だそうだ。
もし、想定外の人からの反応が来たら、「予定が埋まった」と言って、
体よく断るのである。
なんだか、読んだあと、ぐったりと疲れるような記事であった。
私はツーリングの誘いを、ツイッターやBlogでする人がいるというのが、
非常に不思議であった。
なんで、そんなまだるっこしいことをするのか。
いっしょに行きたい人がいるのなら、直接、メールで誘えばいいではないか。
なんで、不特定多数の人が読むツイッターやBlogに、そんなことを書くのか。
正直、理解に苦しんでいたのだけど、
そういうことであったのか。
私だったら、行きたいところがあったら、勝手に行く。
誰か、いっしょに行きたい人がいたら、メールで誘う。
断られたら、そのときはしょうがない。
ひとりで行けばいい。
あるいは、複数の人を誘うことが面倒くさいときは、
「明日、何時に○○にいますから、来たい人は来てください。」
というメールをばらまいて、ひとりで行く。
そもそも、ツーリングに行きたいのは私なんだから、
私の都合を最優先するのは、あたりまえである。
また、別のところに、こんなことも書いてあったな。
Blogのコメント上で、記事に対して批判的なことを書いたりしたら、
場が荒れるし、記事を書いた人を傷つける。だから、そのような
コメントは入れてはいけない。記事の内容に明らかな誤りがあるなど、
どうしても必要ならば、会ったときに直接言えばいい。
それなら、相手は傷つかない。
それって、傷つきたくない症候群ですか?
それだと、Blogの仲間うちでは、まるく収まるかもしれないけど、
記事を読んでくださる、不特定多数の人たちは、どうするんですか。
間違った記事を読まされたまま、置き去りですか???
私は思うのだけど、申し出を断ったり、人を傷つけたりするというのは、
そんなに悪いことなのだろうか。
人にはそれぞれ、自分の都合というものがある。
だから、それと合わせることができなければ、そりゃ、断るしかないでしょう。
そんなの、当然ではないですか。
あるいは、人と人が交流すれば、そりゃ、意見が対立して、
傷つけあうこともありますよ。
それがイヤなら、そもそも、人とつき合わなければいいのである。
私は、このBlogでコメント欄はとじているけど、cgiを使った書き込みにより
ご意見、ご批判は頂戴している。多いときは、月に40通くらい、メッセージをいただくが、
はっきり言って、そこに書き込まれてくることの約半分は誹謗中傷です。(笑)
「いい年齢をして、自転車で走って、楽しいですか。」
「長距離を走るわりには、自転車がせこいですね。恥ずかしくない?」
「佐多岬まで自転車で走ると、なんか、いいことでもあるんですか。」
そんな書き込みが、月に20通くらい、来るのである。
正直、ぐったり来ますよー。(笑)
まあ、状況から考えて、こういった書き込みを書いてくるのは、
その大半が、以前のBlog「国道な日々」時代において、
友好的なコメントをやりとりしていた、so-netブログの人々である。
ハンドルネームが見えるのと、見えないのとでは、
人とはこれほど変わるものか、と、あらためて興味深いものを感じるな。
ま、それはともかく、そもそも、人というのは、そういうものである。
他の人と、好意的、友好的な関係を構築するのを望む一方で、
差別、嘲笑の対象となる存在を望む心理があるのである。
その対象となるのは、たいがい、人と違ったことをする人。
私のように、自転車で東京から佐多岬まで行ったり、
あるいは、ひとりで地方の国道を走りに行ったりする人が
ターゲットになるのは、ある程度、理解できる。
だからといって、それで傷つくのを恐れたりしていたら、
やりたいことなんか、なんにもできやしない。
一方で、残りの20通というのは、とても心あたたまるメッセージだし、
なかには、本当に有益なアドバイスや、私とは違った視点からの、
貴重なご意見をくださる方も、数多い。
だからこそ、私はBlogを書き続けているのである。
人と人とのコミュニケーションというのは、そういうものではないのか。
ということで、今回の記事のまとめであるが、
人と人がつき合っていくうえで、都合が合わなければ
断られるのは当然だし、また、意見があわなければ、傷つけ合うこともある。
そういうのは避けられないことだし、また、自分に対して友好的でない人
がいるのも、避けられないことである。
そんなことを恐れていたりしたら、やりたいことなんか、なんにもできやしない。
ツーリングのお誘いくらい、ツイッターやBlogではなく、
いっしょに行きたいと思う相手に対して、きちんとメールで出せばいい。
コミュニケーションというのは、自分が相手に対してこうして欲しい、
と感じていることを、伝えることではない。
当然、相手にも相手の都合や意見がある。
いってみれば、双方向でないと、成立しないのである。
だからこそ、コミュニケーションを通じて、人はお互いに成長することが
できるのではないかと、私は思うのである。