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なぜ750ccのオートバイに乗っていて、原付に抜かれるのか 3 [オートバイの話]

私は、なぜ750ccのオートバイに乗っていながら、
原付に抜かれるのか。そのまとめである。


前回の記事のまとめであるが、
私はオートバイなんか、べつに好きでもなんでもない。
だからゆっくり走るし、ルールとかマナーを無視して走る人に関わって、
事故なんか起こすのは、まっぴらごめんである。
ということで、そんなもん、無視するに限ると思っている。

では、そういう私は多数派なのか、少数派なのか。

結論から先に言うと、まちがいなく多数派なのである。



世の中には、オートバイに乗っている人はたくさんいるけれど、
そのほとんどは、まっとうに走っている人たちである。
たとえば、仕事でオートバイに乗っている人たち。
郵便配達をする人や、新聞配達をする人たちであるが、
こういう人たちは、ルールとかマナーをきちんと守って走っている。

そりゃそうである。

毎日、違反切符をもらっていたのでは、仕事にならないもんな。
また、遊びでオートバイに乗っている人たちであっても、
大多数の人たちは、まっとうに走っている。
けれども、ごく少数ではあるが、そうでない人もいる。



ハナシはとぶけれど、アメリカでハーレーに乗っていて、
革ジャンを着て、腕にタトゥーを入れているような人たちというと、
まあ、まともな職業に就いているわけはないわな。
あいつらは、本物のアウトサイダーであり、それなりのハンデとリスクを
背負って生きているのである。
けれども、日本では、たとえそういう格好をしている人であっても、
月曜から金曜までは、ちゃんとスーツを着てオフィスで働いているのである。
また、そういう人の私生活は、ほとんどの人が善良な家庭人なのである。

つまり、日本では、ほとんどのオートバイ乗りは
アウトサイダーではないのである。


そういう人は、アウトサイダーとしてのハンデとリスクを背負ってない。
格好だけ、真似をしているだけである。
そういう肝心なところを、どうも、わかっていない人がいる。



オートバイの歴史とか文化を語るうえで、暴走族、不良、ヒッピーなど
といった、アウトサイダーたちの存在は、避けて通れない。
たとえば、映画「イージーライダー」。
でも、あれはあくまでも、映画のなかのお話。
オートバイに乗っているのが、みんな、あんなふうに自由に生きる
人たちばかりであれば、最後には、みんな殺されちまうよ。

であるにもかかわらず、ああいったアウトサイダーにあこがれて、
自分の職業や置かれている立場を忘れて、無茶をすることがかっこいい、
と思っているオートバイ乗りが、ごく一部であるけれど、いる。
そういう人たちは、ふだんはごく平凡な普通の人なんだけど、
週末だけは、自分はアウトサイダーである、と勘違いしているのである。
で、こういう人が、オートバイに乗ると、
「なにびとたりとも、オレの前を走ることは許さねー」
ということになってしまうのである。(笑)


実際には、こういう人は、オートバイ乗りのなかでは少数派なんだけど、
その人の脳内では、オートバイ乗りの伝統を守る主流派であり、
なぜか、他のオートバイ乗りをリードする立場になっているのである。

だって、その人の脳内では、速いやつがえらくて、
でかいオートバイに乗ってるやつが、えらいんだもん。(笑)



私は、こういう人たちは、できれば自分たちだけで固まっていてほしい、
と思うんだけど、しばしば、ごく普通のオートバイ乗りたちに声をかけてくる。
で、「オートバイっていうのはよう。」とか、「オートバイ乗りっていうのはよう。」
とか言って、自分の価値観を押し付けてくるのである。
あるいは、そういうオートバイ乗りの男性と付きあっていた女性は、
「オートバイに乗る男の人って、みんなそうなんじゃないですか。」
とか言うのであろう。

何度も言うけれども、私は、オートバイで旅をすることは好きだけど、
オートバイそのものは、べつに好きでもなんでもない。
要するに、単なるオートバイのユーザーにすぎないので、
そういった価値観には、まったく興味がないんだけどな。


ま、この社会では、自由に生きるということは、むずかしいもんである。
イージーライダーのように、オートバイに乗ってさえいれば、
自由になれるというような、単純なものではない。
また、チャップリンの言うように、勇気と想像力とほんの少しのお金
さえあれば、人生が乗り切れるというわけでもない。
だから、自由に生きるということをめざすのも結構だけど、
それよりは、最低限の目標として、人に迷惑をかけないように生きる
ことをめざすべきである。
交通ルールを守るとか、他車に迷惑をかけないように走るとか、
あるいは、家族に心配をさせないようにする、なんてのは、
ちゃんとした大人ならば、やらなければいけないことである。



ということで、今回の記事のまとめであるが、

・私は運転がどヘタであり、750ccのオートバイに乗っていても
 よく、原付に抜かれる。
・けれども、それは私の生き方の問題であり、技術の問題ではない。
・私にとっては、オートバイなんか、べつに好きでもなんでもなく、
 単なる旅の道具であり、安全に運転してさえいればそれでいい
 と思っている。
・ごく少数ではあるが、オートバイ乗りのなかには“週末だけのアウトサイダー”
 となって、自分の職業や置かれている立場を忘れて、無茶をすることが
 かっこいい、と勘違いしている人がいる。
・そういう人の脳内では、「自分はオートバイ乗りの伝統を守る主流派
 であり、リーダー的存在」なのであるが、実際には少数派であることを
 認識すべきである。




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という、ご質問もいただいた。

たーくさん、いますよ。
(^^;

多くの読者の目にさらされるコメント欄では、当たりさわりのないことしか
書かない人でも、そうでないcgiを使った書き込みだと、がんがん、批判的な
意見を書いてくる。そのどちらが本音なのかは、自明の理なのである。
つくづく、人間ってのは面白いもんだなあ、と思う。



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