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あなたは走り屋? ツーリング派? [ひとりごと]

オートバイ乗りは、これからはいくつかのグループに別れるべきであろう。
会ったら最初に、「(あなたは)走り屋? ツーリング派?」と聞いて、
もし志向が違うのなら、お互いに尊重しつつ、交流しないというのが
いいと思われる。

 

前の記事に対して、いくつかメッセージをいただいた。
「takさんのようなオートバイ乗りこそが、本当にうまいといえる
のではないですか。」という好意的なものから、
「ヘタだとか言い訳がましいこと言っていないで、練習したら
どうですか。」という手厳しいものまで、内容はいろいろであった。

うーん、少し期待していた反応とは違う。

じつは、私が前の記事を書いた本当の意図は、
「運転の技量により、オートバイ乗りのあいだにヒエラルキーをつくる
ことはよくない。」というものだったのだ。
とりわけ、私はベテランが初心者をバカにしたりするのを好まない。
ていうか大嫌いなので、そういったことはしない方がいい、
ということが、いちばん言いたかったのである。

けれど、それをストレートに言ってしまったら、あまりにもエラそうだから、
いったん自分のことを「運転がヘタだ」と下げておいて、そのあとで、
本当に言いたいテーマを持ってきたのである。

こういうのを「謙譲(けんじょう)」というのだが、まわりくどいうえ、
テーマがボケてしまって、言いたいことが正確に伝わらなかった。
少し反省している。いや、ほんま、すまんかった。
なので、今回は誤解を招かないように、直球、ストレートでいく。
 

提案する。

オートバイ乗りは、いくつかのグループにわかれるべきである。
そのうえで、お互いの志向を尊重して、たがいに交流することなく、
無関心でいるべきであろう。そのための、ひとつの提案として、
オートバイ乗り同士が出会ったら、

「(あなたは)走り屋? ツーリング派?」

と聞いて、お互いの志向を確認し、もし志向が違うのなら、
互いに尊重しつつ、交流しないというのが望ましいだろう。 

 
 
じつは、いま鉄道ファンのあいだでは、これと同じことが行われている
のである。鉄道ファン同士が出会ったら、まずは、
「(あなたは)乗り鉄? 撮り鉄?」
と聞いて、お互いの志向を確認しあうのである。

どういうことか。

ひとくちに鉄道ファンといっても、いくつかのジャンルがある。
その大きなグループは、「旅行派」と「車両派」である。
旅行派というのは、鉄道に乗ることが好き、あるいは鉄道に乗って
旅行することが好きな人たちであり、すなわち、乗り鉄である。
車両派というのは、鉄道の車両が好きで、単にながめているだけでは
飽き足らず、写真を撮って集めている。すなわち、撮り鉄である。

むかしは、両者はとても仲がわるかった。

乗り鉄は撮り鉄に対して、「電車の写真なんか撮って、なにが楽しいのか。」
と言っていたし、撮り鉄は乗り鉄に対して、「いい年齢をして、電車に乗って
なにが楽しいのか。子どもじゃあるまいし。」と言っていたのである。

鉄道ファンのジャンルは、これだけではなく、ひたすら行き先表示板
(サイドボード=サボという)などを集めたりする「収集派」とか、
なかには鉄道なんかにまったく乗ったことはなく、ひたすら運行ダイヤを
調べる「ダイヤ派」とか、いろいろな志向のグループがあって、それぞれ
対立していた。私は、この時代を「鉄道ファンにおける冷戦期」
位置付けている。

ま、対立といっても、くだらない話だけど。

たとえば、乗り鉄にとっては、JTBの時刻表は「聖書」と呼ばれているが、
撮り鉄たちは、そういうのをバカにして、ひたすら「鉄道ファン」とか
「鉄道ピクトリアル」を愛読しているとか。逆に、乗り鉄たちは
そういう本を、「子どもの絵本」とか言って、バカにしているとか。
ふつうの人にとっては、ホント、どうでもいいことなんだけど、
ま、いろいろとあるのである。
 
  
前述のように、最近では、鉄道ファン同士が出会ったら、
お互いに「乗り鉄? 撮り鉄?」と聞いて、お互いの志向を
確認するという風潮が出てきた。
つまり、まずはお互いの志向を確認して、互いに認めようと
いうものである。
かといって、志向が違うと、決して積極的に交流しようとは
しない。けど、とりあえずは認める。
私はこれを、「鉄道ファンの雪解け期」と位置付けている。
 
 
最近は、近年、まれにみる鉄っちゃん、鉄子ブームである。
私の世代には、鉄子、つまり女性の鉄道ファンなんて、
圧倒的に少数派だったけどな。
最近は、青春18きっぷを使って鉄道旅行をするという女性も
意外に多いらしい。
そういったブームの背景には、やはり鉄道ファンの雪解け期となり、
ファン同士が互いに尊重しあって、対立はしないという風潮となった
ことがあるように思われるのである。
  

ハナシをオートバイに戻そう。 
すみません。つい、鉄道の話が長くなりました。

オートバイ乗りにも、当然のことながら、いろいろなタイプがいる。
数的に多いのは、走り屋であろう。
コーナリング命。理屈はナシで、とにかく速いやつがエラい。
そして速くなるためには、転んでナンボ。場合によっては、車両同士で
接触事故を起こすことをもいとわない。
昔はこういう人たちが大半だったけど、いまだにオートバイ乗りの
推定3割は、こういう人たちである。
あるいは、実際に峠を攻めたりはしないものの、意識として、
速いやつがうまくて、遅いやつがヘタという志向を持っている人たち
を含めたら、過半数を超えるだろう。

それに対して、私のようなツーリング派は、いまはだいぶ増えたけど、
かつては圧倒的に少数であった。感じとして、1割もいなかったのでは
ないか。

はっきり言って、私はオートバイなんか、好きでもなんでもないですから。

たまたま現在、旅の道具として、オートバイを選んでいるにすぎない。
そして、旅の道具である以上、無事に帰ってきてナンボ。
無理に速く走って事故を起こしたりしたら、元も子もないから
ゆっくり走る。

われわれツーリング派は、速いヤツがエラい、という走り屋の
論理なんか、まったく理解できない。
競技としてオートバイに乗る、つまり、サーキットに行くのなら
大いに理解できる。けれど、公道で速く走るなんて、ある意味では
危険を無視さえすれば誰でもできることだし、そもそも運転の
うまいヘタとは、まったく関係ないハナシではないか。

ま、それはともかく、かつては私のようなツーリング派は、圧倒的に
少数だった。だから、私は基本的には、いつもひとりで走ってきた。
他のみんなもそうであった。北海道行きのフェリーなどで、
たまにツーリングライダー同士が出会うと、話ははずむけれど、
フェリーを降りたら、
「じゃあ、いい旅を。」
と言って、さっさと別れたものだ。われわれツーリング派は
そうやって、いつもひとりで走ってきたのである。
 
 
時代は移り変わり、いまは中高年にあいだで、空前のオートバイ
ブームである。私も含めて、多くの中高年ライダーは、若い時に
オートバイに乗っていて、中高年になり再び乗り始めたという、
いわゆる“リターンライダー”だろう。
だけど、自分がツーリング派なのか、走り屋なのか。
そのへんが、いまいち曖昧なまま、再びオートバイに乗り始めた
という人が、案外、多いのではないだろうか。

なかでも多いと思われるのが、むかしは走り屋で、いまはツーリング派
という人たちである。
もう、昔のように、峠を飛ばす元気はない。
だから、他の多くの中高年ライダーとともにツーリングのまねごとを始めた。
けれども、根が走り屋だから、ツーリング派ライダーたちの、安全第一の
スローペースがウザくて仕方がない。だから、自分だけかっとんで、
遅いやつに軽蔑の視線を向けたりする。

私は、そういう人は、本来はひとりで走ればいいと思うのだけど、
走り屋というのは、昔もいまも、根がさみしがりやの人が多いから、
群れたがるのである。だから、みんなといっしょにツーリングに出る。
けれども、そうすると、ゆっくり走っているやつらがバカに見える。
 
そういう人が、案外、多いんじゃないのかな。
  
 
一方のツーリング派であるが、
近年、多くの中高年のリターンライダーたちが"にわかツーリングライダー"
になって、数としては急増した。で、むかしからのツーリング派たちは
正直、面食らっているのである。
数が増えたとなると、当然、付き合いも増え、グループでツーリングにでも
行きましょうか、というハナシになる。
もちろん、それはいいのだけれど、そのなかに元走り屋がまじっていたり
すると、当然、ペースが乱されてしまう。だから、そういう人の参加は、
できればご遠慮願いたいものだと、内心では思っているのだけど、
ツーリング派の多くは、長年、一人で走ってきたものだから、
人間関係を壊すことが怖くて、なにも言えない。

そんなところではないのか。
 

もう、そういうのは、お互いにやめにした方がいいと思うのである。

走り屋なのか、ツーリング派なのか。
それをはっきりして、お互いの志向を尊重しつつ、無視する。
つまりは、「共存共栄相互無視」という原則にした方が、平和だと思うのである。
 
 

個人的には、走り屋なら、さっさとサーキットに行った方がいいと思う。
そこには、仲間がたくさんいるから。
そして、努力の結果は、タイムというかたちで、はっきり出るから。
むかしはお金がなかったから、峠で飛ばしていたかもしれないけど、
いまだったら、サーキットの走行会に出るお金くらい、持ってるでしょ。
1回ごとに、スリックタイヤを買うお金くらい、持ってるでしょ。

ツーリング派は、現地集合の現地解散がいい。
ツーリングライダーが群れるっていうのは、やはり、どう考えても
不自然だと思うのである。気の合う同士が集まるというのは悪くない
と思うけど、いつもみんなでいっしょに走らなければいけないと思うと、
なんだかリフレッシュできないし。

ツーリング派なのか、走り屋なのか。
そこんとこをはっきりして、お互いの志向が違うのなら、さっさと別れて
それぞれの志向に合った活動をした方がいい。
その方が平和だと思うのである。

こうして日本は平和になった。
 
 
まとめると、
なんでもそうだけど、人にはそれぞれいろいろな志向がある。それは、
「世の中には2種類の人間がいる。オートバイに乗るやつと、
乗らないやつだ。」
みたいな単純なものではない。また、お互いの志向がぶつかり合うと
争いになる。だとしたら、お互いに志向が違うのだ、として、とりあえず
認め合いつつ、決して交流しなければいいと思うのである。
私は、これからのオートバイ乗りは、いくつかのグループに分かれて
“共存共栄相互無視”という原則を貫くことを提案したいと思う。



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