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niceとコメントを受け付けない理由 [ひとりごと]

この「続・国道な日々」では、niceとコメントの受け付けをご遠慮
させていただいている。その理由について。

niceとコメントを受け付けていないことについては、
何人かの方から、「なぜか?」という質問があり、また、
「Blogの楽しみは、コメントのやりとりにあるのでは?」とか、
「コメントを受け付けないのはフェアではない。卑怯である。」
というご意見もいただいた。
まあ、卑怯とまで言われることはないと思うのだが、niceとコメント
を受け付けていない理由については、べつに隠すほどのこともない
ので、明らかにしておきたい。
 
 
じつは、私は2005年4月から2006年12月まで、「国道な日々」
というBlogを書いてきた。けれども、失敗してしまったのである。
失敗した大きな原因は、私自身の問題である。
私はいつのまにか、niceを押してくださる固定的な読者に向けて
記事を書くようになってしまった。その結果、「オートバイと旅が
好きな人にとって、少しだけ役に立つコラム」をめざしていたのに、
「niceを押してくださる読者様にウケるような、毒にも薬にもならない
バカ話」ばかり書くようになってしまった。そうして、めざしていた
方向性から大きくそれて行ってしまったのである。
それで、いったん閉鎖した。 
 
 
固定的な読者からniceを押してもらい、肯定的なコメントをいただくと、
そういった人の期待は、なかなか裏切れないものである。
理由は単純であり、誰だって、他人からは良く思われたいからだ。
けれども、情報発信というのは、ある意味では、人に嫌われながら、
毒を垂れ流す覚悟がなければ、できるものではない。なぜならば、
役に立つ話というのは、すべての人にとっていい話ではないからで
ある。ある人にとっては耳の痛い話もあるだろうし、不愉快な話も
あるだろう。けれども、そう思う人からの反発を恐れていては、
情報発信など、できるものではない。
 
 
理想というものは、いつの時代においても、きれいごとに聞こえるもの
であるし、現実にどっぷりとつかった人に嫌われる。また、人になにか
を言おうとする場合、斬新さがなければ、誰にも見向きもされない。
けれども、斬新であればあるほど、保守的な人からは嫌われる。
つまり、理想とか斬新な発想というのは、いつも嫌われるものなのである。
さらに言うと、この世の中には自分の意見をまとめて、人にわかりやすく言う
ということが苦手な人が多い。だから、そういうことをする人は、
そもそも嫌われるのだ。たとえ、Blogの世界であってですら、そうである。
けれども、誰かがそれを言わなければならない。
 

ある意味では、100人のうち99人に嫌われ、コテンパンにたたかれ
ながらも、1人に

「たしかにあんたの言うとおりだよ。
それに、そんなこと言ったの、
あんたが初めてだよ。」

と言われることをめざさなければならない。Blogに記事を書く
ということは、そういうことだと思う。
 

いずれにしても、今度こそ、オートバイとか旅が好きな人にとって、
読むとホンの少し役に立つBlogをめざしたいと思う。そのため、前回の
失敗を繰り返さないように、niceとコメントは受け付けないようにした。
ただし、言いっぱなしで、ご意見、ご批判は一切受け付けないという
のはフェアではない。だから、cgiのフォームでご意見は受け付ける
ようにしている。(左のサイドバーの封筒アイコンをクリックしてください)
私の基本的な姿勢として、私の記事に対する批判は、いつでもウェルカム
である。どうぞ、言ってきてください。
 



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